「猪俣公章」 森進一と出会い、共にスター街道を 男の悲哀3曲

「女からの別れ」「男の別れ」そして「友とあの人…との別れ」

それぞれの別れを「猪俣公章」先生は、見事に楽譜に写します

 

先生に見いだされた「森進一」さんは、その卓越した表現力で「猪俣演歌」を存分に発揮するのでした

 

冬の旅 1973年(昭和48年)

作詞:阿久悠 編曲:森岡賢一郎

 

私にとって「森進一」さんといえばなぜかこの曲、このイントロです

演歌と冬はとても相性がいいようで、厳しい寒さがよく似合います

 

吹雪の音から始まるこの曲は演歌の醍醐味をみせてくれます

まるで、この吹雪に視界をさえぎられ、男の行く先をはばみ続けるかのような哀愁が漂うのでした

 

もしも誰かに たずねられたら

あいつは 駄目だと 話してくれ

「森進一」さんの低音域を余すことなく発揮するこの出だしの旋律は、子供心にも印象深く記憶に残っています

 

一音一音に魂がこめられたかのように、音階は進みます

聴く人の心にゆっくり入り込みます

音楽の持つ創造力の素晴らしさと、聴く者の幸福感を伴って・・・

 

いま改めて聞いてみると、この2番のセリフにとても惹かれました

 

(まぶた)の裏に現れるのは、なぜか健さん(高倉健さま)の姿

コートの襟を立て、少し背中を丸めて、生きる厳しさをそのうしろ姿で教えてくれます

 

女心も 知らぬ奴だと・・・

もう、健さんの持ち歌にしか思えません

女心も分かっているのですが、人前ではそんなそぶりは決して見せないのです

義理人情はいつの世でも欠いてはいけません

 

ひとり ひとり旅に発つ 雪の降る町へ

私のスクリーンの中の健さんは、切なげに振り返ったまま止まっています

映画『冬の華』のラストシーンのように・・・

 

森さんの歌う『冬の旅』

一瞬のタメと行間の「ま」、そして歌詞の最後の結び方

 

彼の歌唱により、昭和の名曲をさらに果てしない高みへと昇華させてくれるのでした

 

さらば友よ 1974年(昭和49年)

作詞:阿久悠 編曲:森岡賢一郎

『襟裳岬』をはさんで、またこのコンビに帰ってきます

森さんはジャンルにこだわることなく、その選曲は多岐にわたります

 

「阿久悠」さんは、冬の男の第二幕を描いたのかもしれません

 

「あの人」とは、お互いに愛し合っていると信じていた「男」

しかし、友はその女性と一緒に遠く知らない街に旅立つと告白します

その友は”あの人の肩を抱き” ながら・・・

愕然とする「男」

 

この男の心の揺れ、予想外の裏切り、そしてやるせなさを伴いながらもやっとの受け入れ

「猪俣公章」さんは臨場感あふれる曲調で、見事に「男の矜持」を演出していくのです

 

なにかしら いいたげな あの人の瞳に

「あの人」の本心は、たぶん…この俺と一緒に・・・

 

いくら考えても、もう遅すぎます

二人を乗せた汽車は動き始めました

 

さらば友よ もうあうこともない

胸で 胸で音をたてて 何かが消えた

そして、決して消えることのない心の傷が残り続けるのでした

 

さざんか 1976年(昭和51年)

作詞:中山大三郎 編曲:小杉仁三

 

演歌の本流を歩むこの作品は、イントロから「ザ・昭和演歌」を貫きます

ギターとサックスの心地よい響きは、この世代の人に癒しと安心を与えてくれるのです

 

最後は女のほうからの別れ歌です

春の咲く 花よりも 北風に咲く 花が好き

作曲家のイメージの強かった「中山大三郎」さん

「詩」もさすがです

 

そんな言葉を残して 出ていったね

同じ別れの哀しみを漂わせながらも『冬の旅』に比べて、曲調が柔らかい気がします

フランス語に「男性名詞」と「女性名詞」があるみたいに、曲にも「女性曲」があるのかもしれません(ちょっと強引なこじつけかも…)

 

「男も身勝手さ」と「女のあきらめ」

そんな勝手なイメージを持って聞いていると、「山茶花」の花がとてもはかなく、いじらしい花に思えてきます(椿との違いがよく分かりませんが…)

 

さざんかの花びらが 小さな肩先に こぼれていたよ

山茶花(サザンカ)と椿(ツバキ)の違いについて調べてみました

 

大きくは、「開花期」と「葉の特徴」そして何といっても「散り方」です

椿がそっくり丸ごとポトリと落ちるのに対し、「山茶花」は花びらがひらひらと落ちていきます

椿だとこの歌は成立しないのです

 

”小さな肩先”と”花びら”と和服の女性

生まれながらにして世の男性の多くは、吸い寄せられるように組み込まれているに違いありません

 

はぐれたときは おかえりよ

そして、「男」は終わった恋をいつもでも引きずります

 

椿のように潔くポトリと落ちるのではなく、ゆらゆらと果てしなくさまようのかもしれません

”肩先にこぼれていた”「さざんか」の花びらが北風によってふたたび舞うように・・・

 

森進一

以上、「森進一」さん歌唱の「猪俣公章作品」を3曲ご紹介しました

やはり森さんはいい歌うたいます

 

授かった作品に対しての、彼にしか表現出来ない不思議な世界がある気がしました

 

 

P.S.

女性は嫉妬深いとよく言われますが、漢字に「女」ヘンを付けたのはどうかと思います

男も十分嫉妬します

そんな男の独り言

「山口百恵」さんの著書『蒼い時』を最近読みました

「森進一」さんの印象が少し残念で、意外でもありました(私の勘違いかもしれません)

 

「少し愛して…なが~く愛して」欲しかった「大原麗子」さん

離婚会見で「家庭に男が2人いた」と振り返った彼女、私なら喜んで女房になります

1980年代の彼女は、いまだ誰も到達していない最高峰の輝きだと確信しています

 

どんなに素晴らしい完璧な夫であっても、「ひとりじめ」&「離婚」には愚痴の一つも言いたくなります

彼女なりの十分満足な晩年を過ごされたことを信じます

 

『哀しみ本線日本海』『立待岬』『越冬つばめ』(1981~1983)の頃の「森昌子」さんの歌声は神がかっていました

「大原麗子」さんが「美」の最高峰ならば、彼女の「歌」は国宝以上の芸術品です

ちなみに「ものまね」の技術も「重要無形文化財」受賞ぐらいでは物足りません

 

1986年(当時28歳)彼女は結婚し、あの歌声はもう2度と聴くことはできません

こんな罪作りなことがあるでしょうか

 

高松塚古墳の壁画が長い年月により色あせてしまったように、国宝級の「あの歌声」の色彩も復帰後は変化してしまいました

 

ただのエゴかもしれません

神に選ばれし「歌声」の持ち主でも幸せになる権利を有します

でも・・・

わかってはいるのですが・・・

 

女ヘン

唐突ですが、「内海美幸」さんの歌に『酔っぱらっちゃった』という作品があります

この歌がとても好きでよく聞いています

 

あなたひとこと言わせてよ

罪つくり 罪つくり

 

男(私)の「嫉妬」やエゴも醜く、あまりいただけません

この漢字も「男」ヘンに代わってもそろそろ良いのでは、と思えてきました。

 

これまた関係ないですが、「好き」も「嫌い」も女偏

恋愛において、心理を読み解くのが難しいのもこれまた女性

完全なる私の偏見です

 

「偏(かたよ)る」という漢字、女偏が入っていなくてちょっとほっとしました。

 

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森進一 『東京物語』  演歌というジャンルに入れたくありません

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