妖精のように
70年代初め、「アグネス・チャン」は『ひなげしの花』を携え日本の地「おっかの上♪」へと舞い降りてきます
それはまさに「昭和アイドル」の衝撃的な幕開けなのでした(震度6ぐらいは揺れたかもしれせん)
当時は外国人歌手というだけで珍しかった時代です
透明感と白いハイソックスを身に着け、キラキラと揺らめくさまは、まさに妖精の奇跡と言えたでしょう
ドリフの「カトちゃん」とも物おじせず、お笑いもそつなくこなせる「ゴールデンハーフ」の「エバ」ちゃんとは、同じ外国人としてキャラも一切かぶりません
(思い起こせば、女性芸能人を好きになる感覚自体「エバ」ちゃんが初めてだったような…今思えば切ないような…)
その間、「アグネスラム」ちゃんがふんわりと登場しますが、思ったほどにゆれは続きませんでした(体感的には震度4弱、視覚的には震度5強)
(ちなみに、パチンコ「海物語シリーズ」のマリンちゃんのモチーフが彼女だったことを、先程知りました)
「アグネス・チャン」のデビューから時が過ぎること7年
『白いくつ下は似合わない』とご本人も歌われているように、時代は大きく変わっていきます
私の興味も「ど根性ガエル」から「オールスター紅白水泳大会」へと移りつつあるころ、再び激震に見舞われます(震度6強ぐらいのインパクトはあった気がします)
1979年、あの「久保田早紀」さんの登場です
純白のピアノを従え、異国の風を身にまとい、「神秘なる妖精」として颯爽とデビューされたのでした
魔法をかけられたように茫然と見入っていた私でしたが、実は魔法にかけられていたのは、彼女自身だったことにその後気づかされるのでした
『異邦人』と「白い朝」
ご本人が「白い朝」と題していたこの『異邦人』という曲は、時代の流れに翻弄されます
日常のさりげない風景描写が、意図しない間にみるみるオリエンタルな文化色に染まっていくのでした
『異邦人』とした題名のセンスの良さ、壮大な異国情緒を連想させる見事なアレンジ
これらなくして、140万枚の売り上げは叶わなかったでしょう
プロの演出の凄さを見せつけられる思いです
『飛んでイスタンブール』(1978年):『カナダからの手紙』(1978年):『アメリカン・フィーリング』(1979年):『魅せられて』(1979年)
『異邦人』が発売される前に流行っていました
時代は勢いづいており、狭い日本には収まらなくなってきていたのです
「外国なんてすぐそこで出会えるもの」という感覚が起こり始めたのが1978~79年(知らんけど…)
この波に乗らない選択はなかったのかもしれません
(ちなみに『釜山港へ帰れ』のヒットは1972年です)(ある意味、演歌界は異国の波を先取り?していたのかも…)
ちょっとふり向いて
作詞・作曲:久保田早紀 編曲:萩田光雄
私を 置き去りに 過ぎてゆく 白い朝
この作品に付けていた「白い朝」という題名は、却下されたみたいです
それでも、気持ちの揺らめきを断ち切るシチュエーションとして、どうしてもこの言葉は必要だったのかもしれません
ちょっと ふり向いて みただけの異邦人
外国人というだけで、じろじろ見てしまう風習が昭和には色濃く残っていました
そんな時代背景をとらえた、素敵な表現です
無関心という名の「気遣い」こそ、いつの世でも大事なものだと思います
実際問題としては「私なんて、一瞬ふり向かれただけの人」なんて悩んではいけないのかもしれません
あからさまに目をそらされたり、空気のように無関心でいられるよりは
恋愛の場合は、なおさらに…
「久保田早紀」さんが当初イメージしていた作品「白い朝」
唐突ですが、「吉永小百合」さんの『寒い朝』に近かった内容だったのかも?などとふと思いました
「久保田早紀」さんの現在のお名前は「久米小百合」さんです
「さゆり」と名付けるのは、けっこう勇気がいることだったかもしれません
「吉永」さんの登場でかなりハードルが上がっていた気がします
そのハードルを楽々と越え、なおかつ自然に生きていかれているのが「久米小百合」さまです
その後のご活躍については、以前のつたないブログを「ちょっとふり向いて」くだされば大変うれしいのですが・・・
了
久保田早紀 百万本のバラ 昭和63年( 久米小百合) 「芸能界の中でも、私はずっと《異邦人》だった」
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