芹洋子(せりようこ)(四季の歌) 文部省唱歌 / 童謡  

家にじっと閉じ込もり、ストレスを感じている方もいられると思います

こんなぎすぎすした時だからこそ、「芹洋子」さんの優しい声で癒(いや)されてみませんか?(「せりようこ」と読みます、念のため)(「岸洋子」様とも違います)

 

純朴な子供たち合唱団の声は、心が洗われるようです

でも今はなぜか「芹洋子」さんの声で優しく包まれながら、四季折々の文部省唱歌を聴いてみたくなりました

 

朧月夜(おぼろづきよ)

 

 

【春を愛する人は 心清き人】    (四季の歌より引用)

 

作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一

 

「切ない」を遥かに超え、「哀愁」をもしのぐ「叙情性」

ウィキペディアの評価では「叙情」>「哀愁」>「切ない」とされているようです

そんな権威ある叙情性のある曲の中でも、群を抜いているのがこの旋律です

 

 

菜の花畠(はなばたけ)に 入日(いりひ)薄れ

見渡す 山の端(は) 霞(かすみ) 深し

 

そして、この詩の世界が加わります

 

漢語や外来語のない美しい日本語は、古き時代の尊さを感じます

心から大和(やまと)の国に生まれてきてよかったと思うのでした

 

 

里わの灯影(ほかげ) 森の色 田中の小道を 辿(たど)る人

(かわず)の鳴く音(ね) 鐘の音(おと)

 

一番は何となく思い出しますが、この二番をじっくり聞いたのは初めてでした

多くの方たちが指摘されているように、二番のこの歌詞があるからこそ、いまだに教科書へ採用されているのでしょう

 

五つの事象をものの見事に捉え、最後のこの結び方は圧巻と言わざるを得ません

 

さながら 霞(かす)める おぼろ月夜

 

「さながら」は、当然「~ようだ」という意味かと思えばそうではなく、「すべてを」だと解説されていました(また、一番の「におい淡(あわ)し」の「匂い」とは色合いを指しているみたいです)

「いやぁ、日本語(映画)って本当にいいもんですね~」

「水野晴朗」さんでなくても、しみじみ呟(つぶや)いてみたくなりました

 

そして、ここに登場する”田中の小道を辿る人”は【心清き人】に違いありません

 

浜辺の歌 昭和16年

 

【夏を愛する人は 心強き人】

 

作詞:林古渓成 作曲:成田為三

 

1941年(昭和16年)には、李香蘭山口淑子)さんが歌われ、レコード化されたようです

 

 

あした 浜辺を さまよへば 昔のことぞ しのばるる

 

「浜辺」といえば夏をイメージしてしまい、「夏」部門で取り上げてしまいましたが、よくよく詩をみると、微妙な気がしてきました

 

しかも、女性の気持ちを表していたことにも、すこし驚いています

三番の歌詞に「赤裳(あかも / 赤い衣服)のすそ」とありました)

昔のことをしのび、昔の人を愛しく忍んでいたのでした

「やみしわたし」(病気になった私)は今、すっかり治りはしたが、この浜辺をさまよい続けます

 

哀愁漂う曲調に、この詩です

小学男子の私は、この文部省唱歌「夏の浜辺」を元気よく走る感じで歌っていた気がします

たぶん、おめでたいヤツだったのでしょう

 

他に夏の唱歌が思いつかないので、【心強く】持って、このまま「秋」の部へと参ります

 

里の秋 昭和23年

 

【秋を愛する人は 心深き人】

 

作詞:斎藤信夫 作曲:海沼実

 

最初の詩の題は『星月夜』

 

太平洋戦争の始まりを報せる臨時ニュースに高揚感を覚え、その思いを書き上げたといいます

戦争中に作られたこの詩が、戦後になって改変(1.2番は同じ)されて、曲がつけられ「川田正子」さんの歌で『里の秋』は発売されたようです

 

 

しずかな しずかな 里の秋

 

まさかこの詩に、戦争の陰が落ちていたとは驚きでした

 

 

ああ かあさんと ただ二人 栗の実にてます いろりばた

 

母と二人、秋に実った栗を食べながら、出征中の父のことを心配しています

最後の二小節のずしんとしみわたる音階には、【心深く】洗われていくようです

 

冬の夜

 

【冬を愛する人は 心広き人】

 

文部省唱歌の慣例で作詞者・作曲者は公表されてません

日清戦争もしくは日露戦争を意識したとも思われる詞が物議をかもしました

 

 

燈火(ともしび)ちかく 衣縫(きぬぬ)う 母は

春の 遊びの 楽しさを 語る

 

母がいて、父がいて、多くの子たちが囲炉裏(いろり)を囲(かこ)みます

わが家には囲炉裏はありませんでしたが、ちゃぶ台での食事をほんのかすかにですが覚えています

おじいちゃん、おばあちゃん、みんな、夜なべ仕事が当たり前でした

 

決して便利でも裕福ではないあの頃の思い出が、貴重な財産だったと教えられるこの「文部省唱歌」です

 

 

居並ぶ 子供は 指を折りつつ 日数かぞえて 喜び勇

 

私の父は六人兄弟、母は五人、当時としては普通です(国を挙げての一人っ子政策には、事情があるにせよ寂しく感じます)

家族の少ない方には、少し辛い内容かもしれません

 

 

囲炉裏火は とろ とろ  外は 吹雪(ふぶき)

 

「とろとろ」の表現と歌い方がとてもお気に入りです(ここを聴くたびに心の中の「いいね!」ボタンを押してしまいます)

 

おばあちゃんは、いつもかまどの前に座り、マキがパチパチと燃えていました

この音がとても好きで、木の焦げた匂いやご飯のおこげを思いおこされます

 

 

囲炉裏の はたに 縄なう 父は

過ぎし いくさの 手柄を 語る (過ぎし 昔の 思い出 語る)

 

戦後になって、戦意高揚であるという理由で、カッコ部分の歌詞が改変されます

その後、前後の文脈に不自然さが残り、また元の歌詞に落ち着きました

 

純真な子供たちが歌う童謡や唱歌に、「戦争」の二文字が入り込んできていたことに、時代の怖さも感じます

 

改めて、平和の尊さを実感しつつ、【心広く】生きてみたいと思わずにはいられませんでした。

 

P.S.

 

「芹洋子」さんの素晴らしい作品に触れることができましたが、彼女といえば『野に咲く花のように』『四季の歌』が有名です

 

四季の歌 1976年(昭和51年)

 

作詞・作曲:荒木とよひさ

 

二十歳の青年「荒木とよひさ」さんは、骨折で入院中にお世話になっている看護師さんへと、作品作りを始めます

彼女たちの口伝えで広まり、昭和51年「芹洋子」さんにより大ヒットしました

 

スミレの花のような僕の友達”(1番)

”愛を語るハイネのような僕の恋人”(3番)

原文は「愛を語るハイネのような僕の友達」だったと聞きました(ウィキペディア)

それがいつの間にか入れ代わってしまいます

 

「荒木とよひさ」さんの友達は愛を語り、すみれの花が似合う恋人がふさわしい気がします

そんな勝手なことを思いながら『四季の歌』を聴き直してみると、また別の四季が訪れる気がします

文部省唱歌に添えられた四季折々の思い

 

5作品を振り返りながら感じたことは、「日本の四季」こそ大切に守りたい世界遺産です

(ユネスコの世界遺産センターへ推薦書へを送りたいと思います)

 

 

季節を 愛する人は 心変わりな人

昭和を懐かしむ 仙人のような 僕の分身       (詩 / 仙田)

 

偉大なる詩人「ハイネ」のひそみにならい、4番に勝手に歌詞(しかも、かなりの字余り)を付けてみました。

【注:「顰(ひそみ)に倣(なら)う」とは、善し悪しを考えず、むやみに人を真似することのたとえです】

 

 

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岸洋子 希望  昭和45年(1970年)

 

文部省唱歌
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