岸洋子 『希望』 夜明けのうたでもあったのか

この曲をじっくりと聞くまでは、いろんな面で勘違いをしていました

まず「岸洋子」さんと「芹洋子」さんが微妙でした

 

そして「希望」という歌の歌詞も思っていたものとは・・・(明日という日は明るい日と書くのね…みたいな歌かと)(調べると『悲しみは駆け足でやってくる』/ アン真理子さんでした)

そしてこの曲を実際聞いてみると「聴かせる岸洋子」

この評判に偽りはございませんでした

 

希望 昭和45年(1970年)

 

作詞:藤田敏雄 作曲:いずみたく 編曲:川口真

 

いろんな方が歌われていたみたいですが、「岸洋子」さんでコメントさせて頂きます

 

希望という名の あなたを訪ねて 遠い国へと また汽車にのる

 

絶対音感のない私でも、出だしの音はかなり低いと感じます(そもそも音感を持ち合わせていませんが)

低音の魅力といえば、一般的に男性をイメージしがちです

けれども、この声を聴いた時から、とても浅はかな考え方だったことを教えられました

 

 

あなたは昔の 私の思い出 ふるさとの夢 初めての恋

 

転調というのでしょうか、Aメロに続きいくらか音が上がりA’メロディーが続きます

郷愁漂うこの旋律は、「希望」へのかすかな光へと案内され、優しく導いてくれるようです

 

「いずみたく」さんは、わが青春ソングもたくさん作曲して下さっており、感謝の念しかありません(「いずみたく」とくれば、どうしても「シンガーズ」と続けたくなります)

 

 

けれど 私が おとなになった日に

 

初めて聞いたとき、なぜか”冷たい女だと~人は言うけれど~”のフレーズがよぎりました

 

この歌の作曲者を調べてみると

いいじゃないの… / 佐良直美』

同じく「いずみたく」先生だと分かり、なぜかほっと安心するとともに『幸せ』を感じました

 

 

だまって どこかへ 立ち去った あなた

 

この歌の最高音部のところも余裕が感じられ、改めて彼女の音域の広さに驚かされます

 

 

いつかあなたに またあうまでは 私の旅は 終りのない旅

 

恐ろしいほどの低音の魔力を感じつつ、最後はAメロへと帰ってきます

 

「岸洋子」さんの歌声は、人を惑わすかのように、あるいは不思議な力で引きつけるられるように、この私を虜(とりこ)にするのでした

 

当時はまだ幼く知らぬことが多かったとはいえ、冒頭の失礼な表現など多々あり、大変申し訳なく思っています

このたび、「岸洋子」さんをほんの少しですが知ることが出来たことは、とても大事な宝物を授かったんだろうと感じています

 

昭和には、私の知らない宝物がまだまだたくさん埋もれているでしょう

これからも「希望」という名の「あなた」 「昭和の名曲」を訪ねていきたいと思います。

 

P.S.

 

「希望」といえば「喜望峰」?!

 

喜望峰 [CAPE OF GOOD HOPE]

 

インド洋と大西洋、二つの大海が交わる岬・喜望峰。「喜望峰」の由来は、15世紀後半、ポルトガル人航海者ディアスによって発見され、探検家バスコ・ダ・ガマがインド洋への航路を開拓し、香辛料交易への期待と希望をこめてポルトガル王より「Cape of Good Hope(希望の岬)」と命名されたと言われています。  ”LINEトラベルより引用”

 

アフリカ大陸・最南端にある国「南アフリカ共和国」

「アパ〇トヘ〇ト政策」や金・ダイヤモンドの産出で有名です

「喜望峰」は西ケープ(CAPE)州・ケープタウンにあります

 

アフリカ大陸最南端にあるとずっと信じていましたが、ここは最南西端でした

最南端は約150キロ南東にある「アグラス岬」という所らしいです

正確にはこの場所が「冷たい大西洋」と「暖かいインド洋」が出逢う場所なのです

 

「バスコ・ダ・ガマ」

世界史の苦手な私でもな「探検家で有名な人」ぐらいには知っています(インド航路の開拓者)

 

「バルトロメウ・ディアス」

一方、この方は「喜望峰」発見した人らしいです

名前さえ聞いたことがありません(ほぼインドまでの航路まで、めどがついていたようですが、途中で引き返しました)

 

「喜望峰」と「アグラス岬」

「バスコ・ダ・ガマ」と「ディアス」

ほんのちょっとした歴史の歯車により、メジャーとマイナーに分かれてしまった気がします

 

「越路吹雪」さんと「岸洋子」さんは、日本のシャンソン界において二大巨頭です

魅せる越路、聴かせる岸」と評されていたようです(確かに名前の雰囲気も地味な気が…)

 

「岸洋子」

 

《注:以降の説明は、無理矢理感がハンパないので、ご注意ください》

彼女は「ディアス」(世界的知名度があるとは言えませんが、きっちりと多くの実績を残してくださいました)であり、「アグラス岬」(大西洋とインド洋の両方をしっかりと受け止めることのできる、人としての大きさを感じます)が似合う気がするのです

 

大西洋の冷たい水は、長年苦しめられた病魔

インド洋のぬくもりは、誰をも魅了する暖かな声

喜望峰に何ら劣ることのない、素晴らしき「希望の岬」だったのかもしてません。

 

1989年7月放送時の姿は鬼気迫るものがあります

白い衣装に身を包み、として、なおかつ華やかさを持ち合わせ、その歌唱力ははるか南の果ての大海原(おおうなばら)まで響き渡るものでした。

 

この放送のわずか3年後、1992年12月11日・57歳の若さで・・・。

 

 

越路吹雪 ラストダンスは私に 昭和36年(1961年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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