谷村新司 数々のヒット曲を享受できたいい日々、そして旅立ち

このブログに、欠かすことができないのがウィキペディアです

アーティストの年齢・デビュー前の生い立ち・ディスコグラフィー etc

そしてそのウィキペディアの「谷村新司」さんの情報欄で、活動期間が「1965-2023」と閉じられてしまいました

 

愚かな私は、何ら根拠があるわけでなく疑うことなく信じていたのでした

いつまでもずっと「1965-」と表示され続けることを・・・

 

とても悲しい数字が閉じられてから早いもので、もう4か月が過ぎます

生前からよく聞いていた曲は、なぜかこの『22歳』だったのでした

 

22歳 1983年(昭和58年)10月

作詞・作曲 谷村新司 編曲:福井俊

 

白いシーツをまきつけ 背中でサヨナラの

悲しい別離を感じてた 窓の外は光る海

 

もう、純文学以外の何物でもありません

昭和の谷崎潤一郎・森鷗外と言えるのではないでしょうか

(まぁ、自慢じゃありませんがどちらの作品も1ページたりとも読んだことはありませんが…)

 

自ら曲を作ってそれを奏でられます

「谷村新司」さんの凄いところは、歌詞が素敵なお声と曲調に一歩たりとも譲らないところだと思います

 

22歳の彼女のつらい想いが、幾度も零(こぼ)れ落ちます

愛の映画に照れて笑った 貴方が寂しかったわ

 

対比として思い出されるのは「ユーミン」の『いちご白書をもう一度』

就職に向けて髪を切ったことに言い訳する彼

学生運動が盛んだった頃の大学生がイメージされます

 

『22歳』の世界観は少う気がします

高校を出てすぐ就職し、気が付けばもう4年が過ぎていました

彼との交際も、知らぬ間にもう2年を超えようとしています

 

お互い22歳、年は同じでも考えることはかけ離れていくばかりです

彼女は愛の映画に、現実と理想とを熱く重ね合わせます

しかし、肝腎の彼は現実と理想の間に、冷たく線を引くのでした

 

この曲に惹かれるのはなぜか

歌詞は文豪なので、誰もが認めるところでしょう

 

歌いだしから一つの音にも無駄がなく、すべての旋律が輝きます

簡単に書きましたが、こんな作品を私は多くは知りません

歌詞との整合性を含め、曲の展開も完璧だと感じます

 

魔法のような旋律、優しく語りけてくれるあの声、彼女のセリフが後からそっと追いかけてくるのです

言葉にすると、安直すぎてうまく伝わりません

 

どこを切り取ってみても「金太郎あめ」

不適切なたとえです

 

今話題の言葉を用いるなら

『不適切にもほどがある!』(テレビはあまり見ませんが、これだけは欠かせません)

とにかく「金太郎あめ」は失礼すぎました

 

あー 夏がゆく 傷を残して

風はもう 秋の気配

最後の歌詞が繰り返されます

 

季節は夏の終わりだったのでした

”光る海”の意味も考えず、漠然と聞いていたのです

 

「谷村新司」さんは、偉大な功績を残し、秋の気配を感じる前に旅立ってしまわれました

 

彼女は何度も問いかけます

22歳になれば少しづつ 臆病者になるわ

何故かわかる? 貴方

1980年代においての、女性の置かれた立場は今とは全然違います

24歳が適齢期と言われた時代、若き彼女たちは思っていた以上に大人だったのかもしれません

 

あー 夏がゆく 傷を残して

風はもう 秋の気配

 

唐突にまとめに入ります

62歳になれば少しづつ、悲しい出来事が積み重なっていきます

 

大きな傷を残して、長い冬も過ぎ去ろうとしています

今現在、風はもう春の気配を感じることができ始めました

 

しかし私の心の中に、春はしばらく来そうありません

このところ、あまりにも悲しい出来事が続き、臆病者になっているのかもしれません

 

P.S.

「福井俊」さんの編曲で、作品がより雄大さを増している気がしました

イントロと間奏で、ピアノが高音を奏でます

 

現在、少額でのサラウンドシステムに挑戦しています

スピーカーのツイーターが、この高音部分の登場にとても喜んでくれます

『22歳』を聞いた後は、もっといいスピーカーが欲しくなるのも、また悲しい事実です

 

P.S.2

『22歳』が発売されてから、40年と7日

「谷村新司」さんは永眠されました

これからも、あと40年は無理ですが、頑張って30年ぐらいは聞き続けたいと思います。

 

佐藤隆の曲 『12番街のキャロル』 カルメンのように色とりどりの音符が舞い踊ります 

 

 

 

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