47歳の新人歌手
昭和52~54年, 有線放送から火がつき大ヒット
作詞:作曲 佐藤達雄
当初、500枚の自主製作からの7年後、ご本人も忘れたころのまさかの大ヒット(140万枚以上)
世の中、何が起こるかわかりません
結婚式のスピーチではありませんが、「上り坂」「下り坂」そして三つ目の坂「まさか」があるから、人生辞められません
このブログもひょっとすると・・・(ない、ない、絶対ありえません)(でもちょっぴり期待しています)
そんな おやじが いとおしい
おやじの仕事姿ををじっと見つめ、その厳しさ・苦労を理解しているこの息子
当然そこには、尊敬の念が含まれ、愛(いと)しさへと変わります
日々成長していく子供らの親となり、こんな風に慕(した)われるおやじになりたいと普通に思いました
汐のにおいが 肌身に しみた そんな おやじが いとおしい
すごい歌詞だと思います
けれども「いとおしい」感情に到達できる自信が自分にはありません
そんな私を慕ってもらおうなんて、とてもおこがましい事だと気づきます
このおやじさんに少しでも近づけたなら・・・(いとおしいとまではいかないまでも、せめて憎まれないよう、がんばります)
「入道雲」そこにおやじの顔がだぶり
片手でろをこぎ、もう片方の手でてぐすを操ります
辛い漁師に堪(た)えつつ、後ろ姿で、職人技・男の生きざまを示します
どこか似ている おやじの顔に
思い出しては 耐えていく
思い出されるのは、顔だけではなく「おやじの苦労」なのです
そして入道雲をじっとにらみます
自分自身を励ますために・・・
尊敬するとともに、「負けられない」という気持ちも入っているのでしょうか…
日本の音楽 尺八(しゃくはち)と掛け声
楽器は尺八と二つのギター、ほんの少しのオーボエ(?)かな
演奏はいたってシンプルです
そしてこれこそが、この作品の魅力なのです
ヨイショ、ヨイショ、と律儀(りちぎ)なまでの掛け声での演出
決してでしゃばることのないギターが、丁寧にリズムを刻みます
主役である「高音の芸術的こぶし」をみんなで引き立てるがごとく・・・
欠くことのできない名わき役
尺八(標準の長さが一尺八寸)は日本が誇る木管楽器であり、音色であると信じます
人と楽器の二つのこぶしが融合します
イントロの音色を聴いているだけで癒(いや)され、かすれ具合・こぶしの技に痺(しび)れます
【首振り三年ころ八年】と言われるこの世界
(桃栗三年柿八年とは違います。ゆずの阿呆は13年…とこのあといろいろ続き、女房の不作は60年、亭主の不作は一生 まで)(わが女房は一生苦労続きです)
話が少しずれましたがこれだけは伝えたいのです
「尺八」それは
もっともっとスポットが当たってほしく、世界に向け自信を持って紹介できる、精緻(せいち)で上質な日本芸能だということを
作品もさることながら、「村木賢吉」という人柄があればこそ
当地区では方言も普通に使い、標準語と信じていた言葉が方言だと指摘され驚く様子を、子供から聞かされるにつけ、微笑ましく思ったものです
それでも、世代が変わるごとに「訛(なま)り」の色合いが薄れていき、使わなくなった言い方も増えて来ています
この曲を聴き、村木賢吉さんの歌い方(微妙な訛り)を聞くにつれ、この先もずっと残したい世界がここにもあることを、実感するのです
着物姿で、まっすぐに正面を見つめ、難しいこぶしをいとも簡単に披露されます
自分にできる仕事を、真面目に、なんら奇をてらうこともなく、きっちりと仕上げられています
村木賢吉
貴方こそ、理想であり、尊敬すべき本物の「おやじ」だったのです
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P.S.
うちの子たちは小さいころから、おじいちゃん・おばあちゃんと一緒に育ちました
当然、小さい頃の覚えたての言葉も、きっちりと正統な方言を受け継ぎます
時には、私たち夫婦も使わないような、コテコテの方言が飛び出すと、ズッコケそうになりました
そんな懐かしい日々を思い起こさせてくれました
今では立派に大きく育ち(末娘は背が低いのが悩みだけれど)、私の横に座り、兄妹でなぜか「チキンラーメンの定番・袋めん」をおやつ代わりにぽりぽり食べておられます
一生の不作あろう亭主で申し訳ないのですが、私自身はいたって幸せに・のんきに過ごしているのです。
了
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