「吉永小百合」さんを知らない私は、やはり不幸であり、おおバカ野郎だったのかもしれません
改めて古い映像を拝見させていただくと、生まれてくるのが10年遅かったかなと・・・
1962年(昭和37年)、「吉永小百合」さんは華やかに『寒い朝』でデビューされ、同じ年に私はこの世にひっそりとデビューしていたのでした
この年から「王貞治」さんは一本足打法を始め、「吉永小百合」さんは『いつでも夢を』の大ヒットし、日本全体が大きく動き出します
野球ファンと「サユリスト」たちに、そして日本国民全体に夢と勇気と希望を与え続けてくれたのです
勇気あるもの 昭和41年(1966年)
作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正
この道は長いけど 歩きながらゆこう
石っころだらけでも 歌いながらゆこう
当時は歩くことが生活の基本であり、道はといえば舗装されておらず、石だらけ・・・
こんなことを思い出しながら聴かせていただいています(馬も普通に人と歩いていて、大きなフンもちらほら…)(彼女のイメージを壊すような表現が一部含まれ、大変失礼いたしました)
「歌声まで美人だなぁ」などと思いながら聴いていると、哀しい旋律さえ心地よく、ふわふわと揺らめいてきました
ごらん
素敵な言葉です
「吉永小百合」さんには、とても相応しい言い方のような気がします
(「よ~く、ごらんなさい」などと言われようものなら、嬉しさもあまりシャープの「AQUOSテレビ」も即買ってしまいます)
古いインタビューを聴かせていただいていると、美しい日本語の伝道者としても、おおいに貢献されてこられたのではないかと思わずにはいられません
向日葵(ひまわり)は 空へ 空へ 太陽へ 友の 背中 をたたくとき 友と
私にとって至宝の時の訪れとでもいえる、大好きなサビに入ります
ここからのリズム、たたみかけてくるようなテンポを聞いた瞬間、私は幼き少年へと時間が戻ります
ほんのかすかな記憶、それがリアルタイムだったのかそれとも少し時を経て聞いていたのでしょうか?
この懐かしい感じは、どこから湧(わ)いてきたのか分かりません
しかし何故か、この『勇気あるもの』という曲を聴いたとき、思い出した歌があるのです
それはテレビアニメ『サスケ』(1968年~)のオープニング曲です
”くるぞ くるぞ くるぞ くるぞ 手ごわいぞ~”
少し唐突に思われるでしょうが、このメロディーがよぎったのでした
どちらにも、このサビの部分が懐かしさとともに脳内を循環し、その後じんわりと胸が締め付けらてくるようです
手と手を 握るとき この掌(てのひら)に
勇気が湧いてくる 湧いてくる
「勇気が湧(わ)く」
「吉永小百合」さんにはお上品で知的なイメージが強いかと思います(実際そうなのですが)
でもある一面、酒豪でもありさっぱりとした男っぽさも持ち合わせていたのでは、とお聞きしました
長年に渡り水泳を継続している彼女には、川でおぼれた人を勇ましく助けてくれそうな頼もしささえ感じてしまいます
勇気が湧くの「勇」には男が入り、「湧く」には「いさましい」に「サンズイ」がついているではありませんか
そんな素敵な「吉永小百合」さんが「勇気が湧いてくる」と優しく励まされると、今もって不甲斐ない私でさえ、勇気が少し湧いてきそうな気がいたします
もし今現在、人生においておぼれそうな状態で悩んでおられる方がいましたら、ぜひこの『勇気あるもの』
聴いてみてください(あなたを助けに、颯爽(さっそう)と泳いできてくれるかもしれませんよ)
内面から自然と溢れる美しさは、年々増していかれ75歳となられた現在も変わらぬことと存じます
デビューより58年が経とうとしておられますが、ほんの一部だけでも「吉永小百合」さんを感じることができたことに、嬉しさを隠せません
少し遅れはしましたが、今から「サユリスト」の一人として参加させてもらってもよろしいでしょうか?
P.S.
1962年のコマーシャル
・俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー【前田製菓/藤田まこと】
・♪パンシロンでパン・パン・パン 【ロート製薬/天地総子】
・スカッとさわやか 【日本コカ・コーラ】
1962年にはもう「スカッとさわやか」のフレーズのテレビCM がながれており、自動販売機が設置されていたとは驚きです
お金を入れるとコーラの「ビン」の固定が解除され、扉をあけて引き抜く半自動タイプ
扉の横には栓抜きが付属されており、抜かれたフタ(王冠)は自然と下のボックス内へ落ちていきます
おぼろげながら思い出される懐かしい自販機たち
ペプシファンだった私は、フタの裏の当たり付きシール(白いゴム製)をはがす時のワクワク感が忘れられません
了
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