なみだの桟橋 昭和52年(1977年)
作詞:林紀彦 作曲:市川昭介
この曲で少女から女性へと変わっていきました(なぜか髪型はまだ、ショートカットのままですが…)
森昌子 13歳での挑戦
13歳になった少女は、この年(昭和46年10月)スタートしたの「スター誕生」に出場
見事、初代グランドチャンピョンに輝きます
この時の映像は強烈で、後の「桜田淳子」「山口百恵」を即座に芸能の道へと駆り立てました
そんな意味でも、彼女の存在は図り知れないほど大きく「スター誕生」の育ての親でもあります
本格演歌への挑戦、そして見事な転換
雨のデッキに 眼をこらしても 溢(あふ)れる泪で 何にも見えない
19歳の彼女は、徐々に気持ちを高め、「何にも見えない」のところは体全体で声を絞り出します(圧巻とはまさにこの事)(77年・夜のヒットスタジオ映像より)
私はこの映像を見て涙が滲(にじ)みます
とてつもない歌唱力に感動しただけではありません
この唄声が、この才能が、わずか27歳で終わりを告げた事実に、「泪で何にも見えない」のです
悔しいです(ザブングルでなくても言いたくなります)(せめて、ずっと幸せな生活を…)
少し言い過ぎました
彼女の選んだ生き方なのです
立ち入りすぎたかもしれません
ただただ残念で仕方ないのが、正直な気持ちなのです
叶わぬこととは知りつつも・・・
歌手のピークは35~45歳ではないかと、勝手に想像しています(女性の場合)(もちろん、歳を重ねるほどに、表現力や味わいは増していくでしょうが)
一ファンのエゴだと思いつつ、40歳の現役『なみだの桟橋』を聴いてみたかったです
6年後、彼女は25歳で「森昌子」を完成させました
越冬つばめ 昭和58年(1983年)
作詞:石原信一 作曲:篠原義彦 編曲:竜崎孝路
デビュー11年目、堂々たる代表曲の完成です
石原信一 作詩
娘盛りを 無駄にするなと 時雨の宿で 背を向ける人
しんみりと、とつとつと唄っていきます(ギターの響きが何故か大きく感じます)
最初(はな)から報われないことは分かっているのです
でも・・・
ヒュルリ ヒュルリララ ききわけのない 女です
このカタカナ10文字に「森昌子」の11年間が凝縮されます
19歳のあの躍動的な動きは、姿を消していました
中には、軽く歌いこなしていると表現する人もいるかもしれません(それが彼女の実力だと、余裕があると…)
名プレーヤーは、難しい打球になればなるほど「いとも簡単に」いや「いとも簡単そうに」ボールをさばきます(見た目の派手なファインプレーは意外と簡単なのです)(野球を知らない方はすみません)
彼女は、誰もが認める名プレーヤーであり、超一流のホームランバッターなのですの(イチローと松井秀喜の合体です)
『越冬つばめ』はそして「10文字のカタカナ」はとても綺麗で、最高のアーチを描きながら、私の心のバックスクリーンへ突き刺さるのです(野球ネタがしつこくなり、ごめんなさい)
円広志(本名・篠原義彦)作曲
一発屋のイメージが強く、面白いおっさんです
しかし、人間こうありたいものです
やるときはやります
『夢想花』の出だしのメロディーラインも好きでした(後付けかな)
「とんで とんで」の印税がたくさん入り、自堕落な生活をして下さり、ありがとうございます
おかげで、こんな素晴らしい作品が世に出たのですから
そろそろ、またお金が尽きるころでしょうか
出来れば、日本を代表する曲をもう一品お願いいたします(演歌じゃなくてもいいです、できればバラードを)
森昌子
ものまねでも女王
元アイドル・元歌手・元女優・元ものまねタレントとの紹介のされかたでした ”ウキペディアより”
アイドル?もそうですが、ものまねタレントとは、意外に思う方もおられるかもしれません
彼女の「カバーアルバム」の数々は目を見張るものがあり、その完成度は群を抜いています
物まねといえば聞こえがよくありませんが、原曲に忠実であり、尚且つ彼女の色を少しだけ出していきます(個人的には『池上線』がお勧めです)
もし私がプロ歌手だったなら、彼女にだけは絶対カバーして欲しくないでしょう
話は戻り、「アグネス・チャン」のモノマネが忘れられません(「ものまね王座決定戦」の初代チャンピョンでもある)(あまりにも、うま過ぎたのか、その後あまりこの番組に、出演されていない気がします)
人は歳を取るもの
歳をとると共に、人は昔を懐かしみがちである
私の場合は、それに加えて愚痴っぽくなり、始末が悪いことに相手に対して非常に厳しくなります(自分にはかなり甘いのだが)
そんな言い訳をつらつらと述べながらの昌子ちゃんです
離婚後の2006年、芸能界復帰らしいです
極力、この手のニュースは目にしないようにしていましたが、やはりチラホラと復帰後の歌が聞こえてきます
やはり、であります
普通にうまいです
あくまでも普通に(たぶん、普通を超えたかなりのレベルで歌っていたと思うけれど)
昭和61年、15周年記念リサイタルを少しでも聴いたことがありますか
そこには、本物の、彼女しかできないパフォーマンスを惜しげもなく披露されています
私の中では、歌手「森昌子」は、昭和61年をもって引退したままなのかもしれません。
P.S.
「都はるみ」さんの『北の宿から』がヒットし始めたころ、「はるみ節」を押し殺した、あの歌い方が、絶賛されていたことを思い出します
阿久悠の脂ののり切った詩に、天才小林亜星が曲をつけ、都はるみが、絞りの着物でマイクを少しずらし、サラリと歌い上げます
すべての役者がそろった、昭和を代表する歌唱でしょう
最後に一曲だけ生で聴けるとしたら・・・
美空ひばりさんを知らない私は、やはり」『越冬つばめ』
歌唱は、昭和59年~昭和61年の「森昌子」さんでお願いします
ぜいたくを言わせてもらえば、オリジナルカラオケで、白か黒のドレス姿で
編曲者、竜崎孝路さんのこの素敵なイントロ、どうしても外せないのです
蛇足をひとつ
燕雀(えんじゃく)安(いず)くんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや
燕雀はツバメ、鴻鵠は白鳥です
”あんな小さなツバメに、優雅で大きな白鳥の気持ちなど分かるまい” みたいな意味でしょうか
森昌子さんは、私のような小人物でも、分け隔てなく接してくれる、気の優しい人かと存じます
大スターになられても、偉ぶる様子など微塵も感じません
日本が誇れる、素敵な大白鳥なのです
多大なる感動を、そして透き通るような声を聴かせていただき、感謝申し上げます。
了
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