『マイ・クラシック』がヒットした1984年、「高橋真梨子」さんに提供した『桃色吐息』が大ヒットしました
翌年、世に送り出されていたこの曲を知ったのは、少し後となります(「大阪ガス」CMソングとしても採用されていました)
12番街のキャロル 昭和60年(1985年)
作詞:谷村新司 作曲:佐藤隆 編曲:チト川内
作詞が「谷村新司」さんで、しかも彼との「競作」だったことも全く知りませんでした
あなたのために 歌う 想い出のキャロル あなたに聞こえる かしら
私にために 歌う 別れのキャロル 12番街に 消えていく
「佐藤隆」さんの高い声が、ロードノイズと共に車内の据置型スピーカー「富士通テン(Biyo)」から響き渡ります(実は、文字が光る「カロッツェリア(carrozzeria)」に憧れていました)
当時の若者の必須アイテムといえば、「カッコイイ車」でした
そして、気合を入れた車内(当然ドキン(土足厳禁))は、自作のカセットテープとカーオーディオは欠かせません
何故、どのようないきさつで「佐藤隆」さんの曲が、わが愛車で流れていたのか、今もって不思議です
恋にときめくこともなく 齢老いてゆく 私
幸せは不幸の前の 悲しい 前ぶれだった
涙無くしては聞けないセリフが、荒波のように押し寄せてきます
当時はまだ若く、歌詞の意味も考えずに聞いていました
しかし、10年遅くこの歌と出会っていたら、冷静に受け止められる自信はありません(”恋にときめくこともなく”この歌詞が心に突き刺さって、泣き崩れていたかも…)
せめて もっともっともっともっと もっともっともっともっと
あなたに甘えたかった
サビに入り、曲が動き出すと共に、奇跡の声(コーラス)が加わります(スーザン・ボイルもビックリでしょう)
けれど きっときっときっときっと 希望のない愛だからこそ
嘘だけはなかった愛だと 信じてる
「せめて」に対して「けれど」
「もっと」からの「きっと」
「嘘のない愛」だと信じ続けたい
「谷村新司」さんは、ちょっとエッチですが、すごくイケてる人でした
一番が終わるまでに、わずか5発のドラムの音が心を震わせます
これがすごくいい音、好きな音、最高の響きなのです(ピアノとの相性もぴったりです)
「佐藤隆」さんの音楽は、運転の疲れをどれほど癒(いや)してくれたでしょう
そして、アレンジ及び録音技術は、この時代の中で頭一つ抜けており、スピーカーの性能をワンランク上げてくれるのです
許せないあなただ けれど ゆるしたい 別の心が
ほほを 伝わり 落ちる
二番の歌詞です
「谷村新司」さんは、ちょっと禿(は)げていますが、やはりめっちゃ仕事のできる方だと確信しました
夜のヒットスタジオに出演された「佐藤隆」さんは、裸足(はだし)で熱演されていました
そのお姿は、一部のスキも感じさせない剣士を思わせました
しかし所作は、肩に力の入っていない自然体であり、見事なパフォーマンスを軽々と披露されています
12番街について、「キャロル」とどう絡むのか
都会には、別れにふさわしいオシャレな「12番街」があるのかもしれません。
P.S.
キャロル
「キャロル」って何?
気になるので少し調べてみました
CAROL(キャロル)は、1970年代に活動した日本のロックバンド(昭和47年結成)みたいです
あの「矢沢永吉」さんというビッグネームが登場しました(彼とジョニー大倉さんが中心となり結成されたようです)(エーちゃんの基本のきも知らず、すみません)
「男女の恋愛模様を描いたキャロル作品も、中にはあるのでしょう…」などど考えながら『12番街のキャロル』を聴いていました
ひょっとして、勘違い?
CAROL(キャロル)の説明でクリスマス・キャロルにインスピレーションを受けたという、バンド名のいきさつが紹介されていました
「キャロル」とは、「クリスマス・キャロル」だった説が、私の中で一気に浮上してきました
一般民衆が祝歌・讃歌(さんか)としてうたっていた「キャロル」が、「クリスマス・キャロル」として、そして「クリスマスソング」としても歌われるようになってきたようです(少し強引な、あやしい解釈かもしれません)
いずれにせよ『12番街のキャロル』
名付けた意味合いなど、私が理解するには、余りにも知識が足りません
ただ願いは一つ
「佐藤隆」さんの作品が、「矢沢永吉」さんのようにビッグになること
”きっときっときっときっと” 信じています。
了
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