昭和45年(1970年)は、私の頼りない記憶の境界線を意味します
白黒テレビを見ていて、「カラー」表示に悔(くや)しい思いをしたことも、かすかに残っています(不安定な4本足で、丸いチャンネルの大きさが10㎝ぐらいあったような…)
しかし基本的にテレビ様との、お付き合いを深めたのは、愛しきカラーテレビ殿にお会いしてからです(1970年前後)
「天地真理」ちゃん(1971年デビュー)は、カラーで見たような気がしますが、「ゴールデンハーフ」(1970年デビュー)は微妙なんです(ちなみに私も当然、お笑いがとれるエバちゃんファンでした)
このカラーテレビ(玄関前にドーンと置かれた「木枠入りの王様」)は、まさに「黒船襲来」がごとく、この日から大きな驚きと感動を与えてくれたのです
渚ゆう子とザ・ベンチャーズ
私の記憶の境界線上をいく時期に活躍された、このベンチャーズと「渚ゆう子」さん
懐かしいというより、令和になって70年代の新しいサウンドに触れた感動のほうが強いのです
同年万博記念曲用として発売された、ベンチャーズのインストゥルメンタル曲(Kyoto Doll)のカバーだったことにも、軽い驚きを感じました
渚ゆう子
当時の映像を拝見すると、とてもオシャレです
まさに曲のアレンジ・髪型・メイクは、時代の先端をいっている感じです(私のファッション感覚はあてにならないので、娘に映像を見せると、昭和の終り頃?という返事です)(20年近く先を行っているかもしれません)
京都の恋 昭和45年 (1970年)
作詞:林春生 作曲:ザ・ベンチャーズ 編曲:川口真
当時の若者が、このサウンドに衝撃を受けたように、50年経った今、同じ思いを味わっています
イントロの入りは、日本の琴を感じさせるエレクトリックな音とサブギター
そして何より惹(ひ)かれたのがドラム
「タタタ タン・タタタ タン・タンタタンタ・・・」
このリズムとこの音です
エレキギターを日本に広めたといわれるベンチャーズですが、私はなぜかこのドラムにぞっこん(編曲:川口真さん、ありがとうございます)
風の噂を 信じて 今日からは
誰もが指摘されているように、始まりから「日本」そのものの旋律を奏でます
私の心に 鐘が鳴る 白い京都に 雨が降る
このあたりから曲に躍動感がに加わり、気持ちを断ち切ろうとするのです
別れで傷ついた心を、白く染まる京都の景色が助けるのです
恋によごれた女は 明日から 白い京都の 片隅に 思い出を すてるの
一時は○んでしまいたいとまで思いつめた主人公です
けれども、イヤな思いでは雪に下に埋めてしまい、もう明日を見つめていくのでした
京都には、素敵な日本の景色とそれを謡(うた)った昭和の名曲が残り続けています
『女ひとり』/(デューク・エイセス) 『京のにわか雨』/(小柳ルミ子) 『嵯峨野さやさや』/(タンポポ) 『竹田の子守唄』/(赤い鳥)・・・
京都への一人旅
もしもこの先、「傷ついた心」に出逢ってしまったら…
京の鐘が、京都の雨が、人の心を優しく包んでくれるのかもしれません
「渚ゆう子」さんのふくよかな歌声と「ベンチャーズ・サウンド」を忘れずに、旅のお供としてお勧めいたします。
P.S.
ザ・ベンチャーズ / 回転木馬
『二人の銀座』(泉雅子&山内賢/1966年)を皮切りに、『京都の恋』・『雨の御堂筋』(欧陽菲菲/1971年)・『京慕情』(渚ゆう子/1971年)と怒涛の勢いで押し寄せます
編曲の素晴らしさがあったとはいえ、彼らの音楽は、日本人そのものでした
俗にいう「ベンチャーズ歌謡」と言われた彼らの音楽は、昭和歌謡史においても、輝き続けています
そして提供楽曲の中に『回転木馬』(牧葉ユミ/昭和47年)がありました
時代は、栄光と感動の昭和47年(1972年)です
この年、この時から日本歌謡界は動き出します
そごうデパート8階で何気に受けた、新人歌手オーディション(約700人もの挑戦者たちを見た時、こりゃダメだ~と思ったらしいです)
わずか14人に残り、いざ予選会場へ
13歳の少女が横須賀から一人「スター誕生・予選会場」後楽園ホールへ行きました
当時、女性歌手で知っている曲はただ一つ
『回転木馬』
そして夢のような決戦大会へ
もちろん歌う歌は『回転木馬』です(これしか知らないから、迷いはありません)
「ザ・ベンチャーズ」様が作っていただいた曲を歌うことにより見事合格
昭和のスーパースターが誕生した瞬間でした
ありがとう、ベンチャーズ
ありがとう、「山口百恵」様
横須賀から一人で来てくれて、そして世に出てきてくれて、心から感謝いたします。
”百恵さんのインタビューを記載したブログ「キミと聴く山口百恵」を参考にさせていただきました”
余談ではありますが、「桜田淳子」さんも同じ「牧葉ユミ」作品を歌われたようです
当時の「牧葉ユミ」さん、おそるべしです、そしてありがとうございました。
了
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欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)『ラヴ・イズ・オーヴァー』することなく、永遠に続きそうです
カーペンターズ イエスタディ・ワンス・モア 1973年(昭和48年)
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