全日本有線放送大賞でグランプリと最優秀新人賞をダブル受賞しています
『愛が生まれた日』は「藤谷美和子」さんの歌手としてのデビューシングルでもあります
確かに有線で評価されたように、演歌色とまでは言わないけれど、ムード歌謡的要素は感じられ、私のような昭和な人にも受け入れられたのでしょう
魅力あふれる二人の表情を見ていると心が和み、時の流れと共に、いかんともしがたい悲しみにも想いを馳(は)せます
愛が生まれた日 平成6年(1994年)
作詞:秋元康 作曲:羽場仁志 編曲:萩田光雄
基本、作詞・作曲家については”ウィキペディア”で検索し、他にどんな作品があるか調べています
「秋元康」さん
昭和をこよなく愛する私はよく存じておりません
しかし、提供されている作品の数たるや、われらが「阿久悠」先生を遥かに凌(しの)ぎます
作詞界の中でも「神」のような存在の方でした
調べていた項目は「は」行で断念してしまいました(情報量があまりのも多いので、ダウンロードが始まります)(藤谷美和子さんの名前「は」行までとりあえず確認しました)
恋人よ 今 受け止めて あふれる想い あなたの両手で (藤谷さん・パートです)
「藤谷美和子」さんは、優しくそして少し緊張気味に語りかけて下さいます
「おもいっきり両手を広げ、力の限り受け止めてあげたい」
切なげな彼女の表情を見ていると、このように叫びたくなる自分がいます
恋人よ 今 瞳を閉じて 高鳴る胸が 2人の言葉 (大内さん・パートです)
「大内義昭」さんも優しくそして男の私でもホレボレする声でささやいて下さいます
”高鳴る胸が2人の言葉” なんて気障な言葉は、イケメンの彼だからこそ言えるのです
けれども、嫌味っぽさなど一切なく、とても爽やかな風が、彼から自然に吹いてくるようです
愛が生まれた日 この瞬間(とき)に 真実は ひとつだけ (お二人で)
あなた(君)とならば 生きていける
めぐり逢えた二人は、お互いの愛さえあれば生きていけるのです
ただ ”それだけでいい”
「秋元康」さんは、純愛を正面からとらえます
未来で一番 輝く過去を 過ごしている
凄いセリフです
この詩を提供するにあたり、彼は二人が一番ふさわしいと考えたのではないでしょうか(ひょっとしたら、初めから二人をイメージして作られた詩かもしれません)
ただ普通の歌手たちを、軽くプロデュースして、流行らせ調子の乗ってるおじさまではありませんでした(大変な誤解をしていたようで、ごめんなさい)
「は」行以降の作品も、そして「秋元康」さんをもっともっと知りたくなりました
優秀賞受賞映像
「大内義昭」さん
レトロなマイクを持った藤谷さんは、赤い衣装と鮮やかなブルーのショールをまとってのパフォーマンスは絶品です
対照的に大内さんが紺のポロシャツ(上まできちんとボタンを留めています)に同じくブルーのジャケットです
こんなところにも、秋元康さんのプロデュースが入っているのかもしれません
くり返しのサビの部分での途中、一瞬歌詞が出てこない藤谷さん
ちらっと見つめる目で、優しく笑いかけます
大切に包み込んでくれるようなこの雰囲気こそが、彼の人柄のすべてを物語っているように感じました
ハモリの部分はとても難しそうですが、あくまでもメインボーカルを支える立場に徹しておられ、後方から見守る姿勢を崩しません(ちなみに、「増田恵子(ピンクレディーのケイちゃん)」さんともこの曲でデュエットされていますが、しっかりとケイちゃんのキーに合わせて完ぺきに歌われています」
この作品は、「大内義昭」さんなくしては成り立たないことを確信しました
「藤谷美和子」さん
昭和52年「ポテトチップス」のCMが強烈でした(・・・100円でカルビーポテトチップスは買えません、あしからず!)
この翌年、15歳で「ゆうひが丘の総理大臣」で生徒役を演じます
自然に振る舞う演技(?)は、同じ生徒役「井上純一・20才」「斎藤とも子・17才」「北村優子・19才」の中でも最年少ながら、圧倒的な存在感を放ちます(浜ちゃんの奥さん(小川菜摘さん)も同級生で出演されており、どっかで見たことあると思っていたら、このドラマだったのでした)
そして31歳になった「藤谷美和子」さんは、より魅力的に、より神秘的に、そして少しだけ不安そうに歌うのでした(音程が不安定だという意見もありますが、私は、彼女独特な声・素敵なビブラート・はにかんだ表情・全てにおいて魅了されました)
この映像こそが、彼女そのもである思うと共に、改めて「藤谷美和子」さんという一人の女性に出逢えた喜びを感じずにはいられません。
P.S.
個人的なことであり、いつか家族に読んでもらえればと書いてみました
内容についてもどうでもいい事ばかり書いていますので、スルーして下さい
「愛が生まれた日」我が家編
今から20数年前、営業仕事で芳しくない成績だった私は、憂(う)さ晴らしのように、同僚たちと毎日のように飲み歩いていました(通帳残高は常にマイナスです)
飲み友達(悪友)のお気に入りの女の子が、新しい店に移ったというので行ってみたスナックでその女性はいました
その彼女、ママの友達で忙しい店を手伝いにきていました(後で聞くところのよると)
なんやかんやで、流れ的に結婚しようと決めていた私に、衝撃な事実が明かされました(妊娠したことには、何ら驚かなかったように記憶しています)(いわゆる、世間でいう後家さんで(結婚してたんかいっ!)
金持ち未〇人とノー天気ヤローのダメ男
給料全部使ってみるもんです(しかも通帳はいつもマイナスでした)(実はサラ金へも少々というか、かなり…)
人生に無駄なんてありません(怪しげなパブ通いは後悔していませんが、ギャンブル系はちょっとムダでした)
そんな私の「愛が生まれた日」
それは、彼女の数冊の通帳に、数字の0がたくさん記入されていたのを見せられたあの日・・・
ではありません
こんなどうしようもない男に興味を持ってくれた、あの日あの時・・・(詳しくは内緒です)
彼女に出逢っていなければ
今のように普通にお父さんしているなんて
今でも不思議に思えることもしばしばです
愛(いと)しのスナックのおねえさんは、三児の母となり、遺産を食いつぶした私を責めることなく、今日も元気に働いてくれています
最後に彼女へ
そして彼女のおかげで授かった大切な家族へ「秋元康」さんのこの歌詞をお借りします
世界で一番 素敵な場所に 辿(たど)りついた
連れてきてくれて、どうもありがとう。
了
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