小林繁伝 『昨日の女』 彼の身を削るような「炎の投法」人生

元・読売ジャイアンツのエースピッチャー「小林繁」さんの歌です

”ウィキペディア”「小林繁」に目を通していると、泣きそうになりました

それは、「悲劇のヒーロー」だからでも、若くしてこの世を去った悲運の人だったからでもありません

 

野球人として、決して恵まれているとはいえない体格・才能

そんな彼がいかにしてプロ野球人生を全うしたか、感動せずにはいられませんでした

昭和の男「小林繁」さんは、生き方すべてが「おとこ」なのでした

そんな彼が、素敵な歌を歌っていました

 

昨日の女 昭和55年(1980年)

 

昭和54年『亜希子』のスマッシュヒットにより、その翌年(1980年)『昨日の女』は発売されていました

売上的にはあまりヒットしませんでしたが、出だしの歌詞が妙に心に残っていたのです(誰が歌っていたのかも知りませんでした)

 

作詞:阿久悠 作曲:五十嵐悟

 

 

女房みたいに ぬれた手を ふいて

 

この歌詞しか知りませんでした

仕事から帰ってきた人を、慌てて出迎えるこの姿が、とてもいじらしく私の心にイメージされ続けていました

 

 

あなた迎えに ドアを開けるのも

今日が終りと 不意に思い出し   泣けてきたのよ 突然に

 

小気味よいリズムに乗った甘い声は、ムード歌謡の王道を走ります

先ほど知ったのですが、作曲者「五十嵐悟」さんは「中川博之」さんの別名であり、このジャンルにおいての先駆(せんく)者的作曲家でもあったのですラブユー東京・わたし祈ってます・意気地なし等々)

 

 

確かにハンコも 押さないで 世間の夫婦じゃ なかったが

だけど だけど それが何なの

 

ここからの流れるような音階と、「…なかったが」と「だけど」までのがとてもいいんです(コーラスが加わわるのもグーです)(グ~グ・グ~グ~のエドはるみさんも懐かしいです)

 

 

せめて今夜は お酒飲ませてね  これで他人になる二人

 

決してそんなにうまくはないですが、この歌には「悲壮感」を漂わせながらも「勇気」を同時に与えて下さいます。

 

それはまるで、現役時代のしなるような、また粘りあるピッチングを彷彿とさせてくれるのでした

 

小林繁

 

高校生の頃から、プロを目指していたわけではありません(2番手の控え選手だったが、内野手をすすめられても断っている)

与えられた条件でどうしたら「自分がいかせるか」を考え続けていたのでしょう

 

自分の体力に不安(何度かプロ入りを断っています)があったからこそ、変則的なあのアンダースローの投法やタイミングの外し方を徹底的に研究されたようです

そして彼は、自身の身体を「鋼(はがね)のような筋肉の塊」に仕上げていくのです

 

現役を退いた小林さんは、謙虚に振り返ります

 

あんな事件(江川・空白の一日事件)があって、トレードで阪神に移って、悔しくてね。だから、『俺は生きるぞ、負けてなんかいないぞ』って主張したかった…それだけの野球。そんな野球は全然、駄目でしょ。チームより自分が先に立っていた…そんなのは、あざといだけの野球だよ。  ”ウィキペディア”より

 

後年、「江川卓」さんとCM対談された時も、相手を気づかいながら紳士的な対応をされていました

 

「カラダのあるピッチャーは80%の力を出しただけで俺よりも10キロ以上も速いボールを投げることができるが、俺はあのスピードしか出ないけれど一球一球を常に120%の力を出して投げていた」  ”ウィキペディア”より

 

投げた後に帽子がずれるほど、いつも全力投球していた姿が思い出されます

昭和58年(1983年)13勝したにもかかわらず、潔くこの年でユニフォームを脱ぎました(内・完投9試合)(通算11年・139勝・平均防御率3.18)

 

絶対的な体力不足に悩み苦しめられ、どうにか自分をいかせる方法を見つけた結果のアンダースローでした

 

「江川卓」さんのような「本格的な投法」は、したくても体力的に出来ませんでした

しかし、彼の身を削るような「炎の投法」は、永遠に私たちの脳裏に刻まれ続けているのです

 

堂々とした誇り高き人生こそが、「小林繁」さんの歩んだ道です

「本格的なオーバースロー」そのものの生き方を貫かれたのでした。

 

P.S.

 

明石家さんま

 

「小林繁」の物まねと言えば「明石家さんま」さんです

 

デビュー間もない頃は、「ザ・パンダ」(林家小染・桂文珍・月亭八方・桂きん枝)の前座でよく、投球フォームなどの形態模写をされていました(ヤングおー!おー!)(1978年よりレギュラー出演)

当時のテレビ局は、予算の関係でビデオを重ね取りしていたため、ほとんど現存しておらず、今でもみられる動画は一本のみらしいです

 

今改めてさんまさんの物まねを拝見すると、思いのほかクオリティーが高く、ビックリしました(掛布までしています)(巨人ファンだった彼は、小林投手がトレードされてからは、形態模写をしばらくの間封印していたようです)(何事にもスジを通す方なのでしょう)

最後に彼の最大のヒット曲をご紹介して終りとさせて頂きます

 

しあわせって 何だっけ何だっけ ポン酢しょうゆの あるうちだ

ポン酢しょうゆは キッコーマン! ポン酢しょうゆは キッコーマン!

 

1986年CMバージョンです

 

しあわせって 何だっけ何だっけ にぎりしめてる子どもの手

しあわせって 何だっけ何だっけ カルガモ見ている野次よ               (作詞:関口菊日出 / 作曲:高橋千佳子)

 

明石家さんまさんのアルバム『世渡り上手』から『しあわせって何だっけ』でした

 

毎年必ず、「カルガモ親子」が道路を渡っていく映像が、ニュースとして当たり前に流れていた時代

離れまいと必死に握りしめてくる、まだ幼かった子供の小さな手

 

あの頃の「しあわせって」、とても貴重な本当の「しあわせ」だったのかもしれません。

 

 

昭和の名曲 琴風  まわり道  尾車親方  

 

 

 

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