森田童子 『ぼくたちの失敗』 当時はみんなこの歌詞 ”弱虫だったんだヨネ”

日本の仏教では、亡くなられて2年が経過すると三回忌の法要となるようです

(故人が亡くなった日が1回目の忌日(きじつ) に当たることから、満1年目が2回目の忌日(二回忌)、満2年目が3回目の忌日のため、三回忌と呼ぶようです)

 

「森田童子」さんがご逝去(2018年4月・65歳没)されて、はや二年が過ぎてしまいました

ご存命中ならば、話題になるのも快く思われなかったかもしれませんが、「〇〇にくちなし」(不謹慎な言い方ですみません)というたとえもあり、なにとぞご勘弁くださいませ

 

ぼくたちの失敗 昭和51年(1976年)

 

1993年『高校教師』というテレビドラマの主題歌で使われてヒットしたようです

このドラマ、私は観たことがなく内容も知りません

ただこの歌を歌っていた人は「森田童子」という名前だったことを、再ブレークにより知ったのです

 

作詞・作曲:森田童子 編曲:石川鷹彦

 

春の こもれ陽の 中で  君の やさ しさに

 

テレビから聞こえてきたこの声は、一瞬にして三畳一間の下宿部屋へと、私を連れ戻しました

 

 

うもれて いた ぼくは  弱虫 だったん だヨネ

 

半音上がりの三段構成、これほど切ない旋律と声は決して忘れられません

 

そして同じフレーズで、私にとって伝説のセリフが登場するです

 

ストーブ 代わりの 電熱器  赤く 燃えて いた

 

”赤く燃えていた”のは、当時の若者のまっすぐ過ぎるまでの情熱だったのでしょうか

 

学生生活で唯一の炊事道具は、鍋と湯沸かしポットとこの電熱器です(蚊取り線香のようにニクロム線がぐるぐると巻かれており、電気で加熱します)

このセリフを地でいくような、寒い夜をどれだけ過ごしたでしょう

(そして「サッポロ一番味噌ラーメン」をどれだけ作ったでしょうか)(当然ナベのまま食べます)(あまりに食べ過ぎたせいで、いまだに「しょうゆ」「塩」「ごま味」しか食べません)

 

”ストーブ代わりの電熱器”は、意外と暖かく重宝しました(歌の世界と同じことをしている自分に感動?いや苦笑いをしていたものです)

しかしながら電気代もアホほどかかり、その後は、心と懐もぐっと冷え込むこととなるのでした

 

 

悪い 夢の ように  時が なぜて ゆく

 

学生運動の盛り上がりと挫折、哀しみとあきらめに似た日々を、作者は「時がなぜてゆく」と表現されています

 

「森田童子」さんについては、あまり情報が少なく(ドラマでブレイクしても、一切マスコミの前に出ませんでした)なぞの多い方でしたが、突出した何か異次元の世界を感じずにはいられません

それがいったい何だったのか、深く考えたくなるアーティストなのです

 

 

ぼくが ひとりに なった 部屋に きみの 好きな

チャーリー・パーカー 見つ けたヨ  ぼくを 忘れた カナ

 

「チャーリー・パーカー」が何のことかずっと気になっていました

「パーカー」といえば、映画「ロッキー」で着ていたグレーのトレーニングウェアでしょうか(電熱器下宿の頃は、「ハンテン(HANG TEN)」のトレーナーが流行っていたような…)(足あとが二つ付いたやつです)

 

「チャーリー・パーカー」とは私の中では何となく、ディズニーキャラトレーナーぐらいに想像していましたが、実は有名なアメリカの「ジャズミュージシャン」だったのです(つい先ほど知り、改めて詩の深さを再認識するのでした)

 

 

春のこもれ陽の中で、君のやさしさにうもれていたぼくは、弱虫だったんだヨネ

 

最後は、静かに繰り返して、曲が終わります

 

「森田童子」さんは、この昭和の名文を残してひっそりと消えていかれました。

 

P.S.

 

『ぼくたちの失敗』は曲のアレンジもとってもシンプルです

か細く奏でるピアノと編曲者でもある「石川鷹彦」さんのギター演奏が中心です

間奏の口笛に心がそっとなごみます

 

ぼくの失敗

 

久しぶりに何度もこの歌を聴いてみました

若き日の自堕落な生活や取り返しのつかない数々の失態が、いやでも思い起こされました

 

そんな決して許されることのない失敗が、なぜか少し許された気がしてくるのです

彼女の優しげな声と間奏の口笛が、そのように勘違いさせてくれたのかもしれません

 

自然と瞳がうるんでくるのは、自責の念に駆(か)られたからか、それともこの作品の素晴らしさや彼女の崇高(すうこう)な生き方に感動したせいなのか・・・

自分でもよく分かりませんが、貴重なひと時を今また再び過ごせたことに、心から感謝したします

 

今日から5月となりました

もう少しだけ、このたゆたうような「春の木漏(こも)れ日」を浴びていたい気がします。

そして彼女の声の「やさしさにうもれていた」ぼくは、幸せだったんだヨネ!

 

 

浜田真理子 『あなたへ』 進学で他県に行った娘はいつ帰ってくるのだろう

愛・おぼえていますか 飯島真理 昭和59年

 

 

 

 

 

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