昔から、紫(むらさき)色が好きでした
だからかどうか、すみれの花が好きですし、紫陽花(あじさい)に住まうカタツムリさえ、愛(いと)しく思えます
『長崎の夜はむらさき』
長崎に土地勘もシャレた思い出も一切ありませんが、この題を聞いて嫌いになる理由はかけらも無いのです
長崎の夜はむらさき 昭和45年(1970年)
作詞:古木花江 作曲・編曲:新井利昌
題名といい、詩の内容といい、長崎の夜を「むらさき」と例えるセンスといい、ただものではない感が、ひしひしと伝わってきました
しかし「古木花江」さんという名前を聞いたこともなく、全く存じあげません
ひょっとして、とんでもないお宝発見かと調べてみると、なんと!
あの大御所「星野哲郎」先生のことではありませんか(そうですよねぇ)(納得しつつ、少しがっかりな面も…)
たぶんこのブログで、先生の作品は初登場ですので、張り切って参ります
雨にしめった(パパヤパ~) 賛美歌の うたが流れる(パパヤパ~) 浦上川よ
長崎といえば讃美(賛美)歌と、やはり雨が似合うのでしょう(「しめった」の表現といい、独特な出だしといい、ツカミは完ぺきです)
イントロにも使われている「パパヤパ~」のコーラスは、別れの辛さ・哀しみを少しだけ癒(いや)してくれる気がします(シンガーズ・スリー / スリー・シンガーズと誤表記)
昭和の名曲『他人の関係』(パッパ・パヤッ・パ)と同様、作品に大きな影響を及ぼす、素晴らしい演出となっています
忘れたいのに 忘れたいのに おもいださせる ことばかり
「忘れたい」と思えば思うほど忘れがたくなるのかもしれません
「忘れたい」と思った瞬間、相手のことを考えてしまい、「記憶の反復練習」を続けているようなものかもしれません(辛い復習作業です)(そして哀しいことに、その記憶はより美化されていくようです)
「実らぬ恋」を忘れる対処法などないようで、この虚(むな)しい練習に疲れきってしまうのを待つしか、方法はないのかもしれません(”消せないアドレス 「M」のページを 指でたどってるだけ…”「プリンセスプリンセス」さんの名言が、身にしみます)
「星野哲郎」さんは、”忘れたいのに”を2回続けさせています(二番は”おもいこがれて”・三番は”そんな気がして”)
特にこのくり返し部分では、素晴らしく気持ちの入った歌い方をされています
とあるレコーディング風景(勝手な想像です)
先生 :二回目はグッと気持ちを入れて歌ってね、瑛子ちゃん(優しい瞳でそっと促します)
瀬川さん:はい、先生! 一生懸命頑張ってみます!!(澄んだ瞳で、まっすぐに見つめ返します)
私は、こんな寸劇を想像してしまいます(ごめんなさい)
どこまでも素直で、とても素敵な彼女は裏切りませんでした
実際、期待通りに完ぺきに歌ってくださっています(以上、私の思い込みの世界を終了いたします)
ああ 長崎 長崎の 夜はむらさき
「長崎」と「むらさき」
言葉に韻(いん)をふんだ上に、ビジュアルの韻とでもいいますか、場面のイメージを色にたとえます
「むらさき」
それは、夜のステンドグラスの滲(にじ)んだ灯(あか)りであり、異国情緒を感じる雰囲気であり、雨に霞(かす)んだ、長崎の街並みそのものなのでしょう
凝ったアレンジがあるでもなく、比喩(ひゆ)を多用するでもなく、詩の最後は普通にタイトルを持ってきます
少しも奇をてらうことがないこの潔さが、歌詞と曲のマッチングの良さを引き立てている気がします
そして、なぜだか今でも、私の中にとどまり続ける歌詞であり、昭和の名曲として残り続けるフレーズとなるのでしょう
「瀬川瑛子」さんのお手本通りの歌い方に惹きつけられるように、「むらさき色の長崎」をどうしても訪れてみたくなるのです。
瀬川瑛子
「長崎の夜はむらさき」(昭和45年)から約15年
「命くれない」(昭和61年)が大ヒットし、さらに30年以上たった現在も幅広く活躍されています
衣装が派手になった以外は、当時とそれほど違いを感じさせません(声質やキーの高さも不変です)
たぶん彼女は特殊な能力の持ち主で、十年単位で歳を一つだけ重ねているのかもしれません
そして何より驚かされるのは、歌い方です
オリジナルを崩しません(若い頃、父親(紅白出場歌手)からレコード通りに歌いなさいと言われていたらしいです)
50年以上も、ずっと守り続けているその信念と素直さに、衝撃と感動を覚えるばかりです。
「天然キャラ」と揶揄(やゆ)されがちですが、屈託のない人柄はわが心の中に、永遠と輝き続けることでしょう
霧にうるんだ 眼鏡橋 そっとのぞけば あなたが見える
これから先もずっと変わらず、そっと歌い続ける「瀬川瑛子」さん
”あなたが見えます”
P.S
アジサイ(紫陽花)
紫色の花といえば、やはり日本原種である「アジサイ」
土壌の酸性度(pH)により花の色が変わることは有名です(たまたま知っていたので、ちょっと上から申しました)(色素・アントシアニンとアルミニウムイオンとの反応によるものらしいです)(よくわかりません)
「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」になると言われています(リトマス試験紙とは逆らしい・小学生以来のこの言葉の登場が懐かしいです)
このアジサイ、「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子・著)の教えの通りに咲き、なおかつその時々・状況に合わせて、自身を変えていきます
その生き方は、わが人生の「生ける見本」のような、尊き存在なのです(今はまだ修行不足のため、あっちにフラフラ、こっちにフラフラと流れに身を任せていますが…)
そんな師匠ともいえるアジサイの葉が芽吹く、新緑の季節ももう間近です
この先、目にする機会も増えてくると思います
どんな状況にも柔軟に咲き誇る「むらさき」の鮮やかさ
どこか「瀬川瑛子」さんと通じるものを感じ、とても癒(いや)される思いです
そして「母の日」も近づいて来ております
母に向けた素敵な詩の一部を紹介させて頂きます
母よー
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
(中略)
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道
《三好達治 「乳母車」より》
了
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