尾崎亜美 マイ・ピュア・レディー 天才的彼女に ”たった今恋をしそうな春の予感”

昭和52年(1977年)、CMに提供しヒットします

 

翌、昭和53年には『春の予感-I’ve been mellow』(南沙織)『オリビアを聴きながら』(杏里)『あなたの空を飛びたい』(高橋真梨子)など、次々と歴史的な名曲を提供していきました

 

マイ・ピュア・レディー 昭和52年(1977年)

 

作詞・作曲:尾崎亜美

 

春が近づくと聞きたくなるのが『春の予感~』(尾崎亜美セルフカバー)この曲です

しかし、歌詞の中に春を感じさせる文言は見当たりません

そこにこの歌の本質があるのかもしれません(たぶんありません)

 

尾崎亜美そして松任谷正隆

 

ちょっと走りすぎた かしら 風が吹いていったは

 

静かに、ひっそりと歌は始まります

それは独特の「尾崎亜美メロディー」を奏でます(この頃のハスキーボイスは、あまり姿をみせていないようです)

ギターアレンジが、心地よく春めいて来るのを予感させます

 

「松任谷正隆」さんは、ただの車オタク(大変失礼です)のオシャレなおじさんかと思いきや、とんでもない方でした

 

”ウィキペディア”によると、「ストリング(弦楽器)と管楽器を用いた最初期の編曲家であり、フルートとハープの使用に特徴がある」と書かれています

 

ハープ好きで、編曲にこだわる(?)私にとって、まさに神のような存在だったのです(「荒井由実の世界」を変えた悪い人みたいな、勝手に変なイメージを持っていました)(まさに偏見の塊だった私をお許しください)

 

この曲のアレンジは、決して奇をてらうことなく、全体を通してあえて大きく変化させていません

「尾崎亜美」さんの何とも可愛い声を祝福しているかのように、ギター同士が楽しそうにささやき合い続けるのでした(このアレンジがなんとも心地良いのです)(心に春が訪れたんだぁ)(ウキウキしているなぁって…)

 

『赤いスイートピー』『冷たい雨』『なごり雪』・・・

 

数々の編曲を手掛け、素晴らしい作品をより一段二段、上へと高めています

「ユーミン」の偉業が称(たた)えられる陰に、彼のプロデュースする手腕が必要不可欠だったのです

 

「尾崎亜美」「松任谷正隆」

このお二人は、「松任谷由実」さんら超有名アーティストの方たちと、何ら遜色(そんしょく)なく、感嘆されるべき才能をお持ちです

 

とても素敵な感性で創造された作品たちを、知れば知るほどに、類(たぐい)まれなアーティストだと痛感するのでした。

 

尾崎亜美

 

あっ 気持ちが 動いてる

 

この「あっ」に「はっ」とした私は、当時の資生堂のコマーシャル(小林麻美主演)が懐かしく蘇(よみがえ)ります

 

1977年資生堂春のキャンペーンソング『マイ・ピュア・レディー』は、楽曲を制作をする前からタイトルは決まっていたようです

 

『ピュア」とは何か

 

彼女なりに考えますが、出した案をことごとく却下されます

またダメだろうと思いつつ提案した「あっ 気持ちが…」のフレーズです

これが見事に高評価を得ました(”「なかじましんやの土曜の穴」・インタビュー記事を参考”)

 

 

たった今 気づいたの 今日のあなたに似合っている

いつもと おんなじ 口笛

あっ 気持ちが 動いてる たった今 恋をしそう

 

恋の予感というものは、かくもこんなに突然、何気ない日常の瞬間に訪れるものなのでしょうか

これこそが、世にいう乙女心というものかもしれません(生涯私には理解できない分野の一つであるけれども…)

 

こんな素敵な詩を創り出せる「尾崎亜美」さん

彼女こそ純粋であり、最も「ピュア レディー」にふさわしい方なのかもしれません

 

『My Song for You』

 

こちらは「尾崎亜美」さん、80年代の名曲です

 

ふりむいて くれたなら 伝えたい さりげない愛 My song for you

 

『天使のウインク』『ボーイの季節』『パステルラブ』『My Song for You』・・・

今回は、たくさんの名曲をふりむいてきました

さりげない、いや、あふれるほどに伝わる彼女の才能です

そして彼女が私たちにくれた『My Song for You』

皆さんも是非、ふりむいてみて下さい

 

もう一度歌詞を引用します

 

あっ 気持ちが 動いてる たった今 恋をしそう

 

少しでも多くの人の気持ちが動き、「尾崎亜美」さんに恋をしてほしいと願うばかりです。

 

P.S

 

”ウィキペディア”を参考にして書いています

『My Song for You』は、「カルピス」および「大京ライオンズマンション」のCMで使われました(1982年・「~カルピス・フォーユウ」しか私は知らないです)

 

激動の昭和「カルピス食品工業(株)」

 

乳酸菌飲料の王者「カルピス」は、70年代に幼少期を過ごした私には、無くてはならないものでした(「コーラス/森永乳業」ファンの方はごめんなさい)

瓶に入った原液を薄めるヤツです

 

オレンジカルピスや「カルピスソーダ」(昭和48年)などの進化を重ね、1991年大ヒット商品「カルピスウォーター」が登場しました(私の中では、なんか違うかなって思っていました)

「味の素」が筆頭株主となり(1990年)社名も「カルピス株式会社」変更(1997年)(ガンバレ!カルピス)

 

カルピスを飲んだとき、口の中に白い塊が残りました(2004年になんと、防止対策までしていました)

2007年、味の素の子会社になったのち、紆余曲折(うよきょくせつ)しながら現在は「アサヒ飲料(株)」の完全子会社です(カルピス!お前もか)

2019年1月、ラベルの意匠が変更され「CALPIS」ブランドから「Asahi」ブランドへ変更となりました(発売から一世紀(100年)に到達したといいます)(よく頑張った、お疲れ様です)

 

「KALPIS」 ららばい

 

ないものねだり

人種差別を助長するという観点から廃止された「黒人マーク」

幼い頃、飲み終わったあと少し嫌だった、あの白い塊・・・

 

近くに住んでいたので、「カルピス(アサヒ飲料)岡山工場」に見学に行き、色んな商品を頂きました

今も少しさびれた工場を見るたびに、お中元でもらった箱入りカルピスを思い起こされます(オレンジ1本・グレープ1本・ノーマル2本が定番でした)(めったに飲めないオレンジ・グレープ味は感動ものです)

そしてなぜかこの歌が・・・

 

 

だから~ 死ぬまで~ ないものねだりの子守唄  ”『東京ららばい』/ 作詞:松本隆より”

 

人は、無くして初めてそのありがたみに気づくのです

「KALPIS」

この意匠ブランドも、今後は見ることが出来なくなるのかもしれません

「中原理恵」さんの素敵な子守唄と共に、ゆっくりお休みください

 

当時をしのび「ララバイ(子守唄)」を歌いたくなるような、懐かしくも物悲しい激動の昭和あれこれでした。

 

 

りりィ シンガーソングライター 『オレンジ村から春へ』 

杏里 コットン気分 / 砂浜  昭和56年

 

 

 

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