四国で病気療養する中、やがて周囲も復帰は絶望的と見切りをつけるが、恩師の吉田正だけは最期まで諦めず、よく永井を見舞い、周囲にも「フランクに歌わせたい曲がいっぱいあるんだ」と語っていた。 (ウィキペディア)
「フランク永井」さんに、歌ってもらいたい曲がいっぱいある気がします
そして「フランク永井」さんの、聴いてほしいん曲がいっぱいあるのです
おまえに 1977年(昭和52年) 再発売
作詞:岩谷時子 作曲:吉田正
哀愁を含んだ素敵なコーラスのあと
チャチャララ チャチャララ チャチャララ チャララララ~ン(字に起こすと変ですが、決してチャラくありません)
このイントロ、特徴あるギターの音色やバイオリンを携えて、世に言う「低音の魅力」まさに至高の声を迎え入れるのです
そばにいてくれる だけでいい 黙っていても いいんだよ
「フランク永井」さんは低音にばかりでなく、高い声もまた魅力的です
しかし、やはりこの低音を最大限に活かした『おまえに』は外せません(「君恋し」への思いも乱れますが…)
超高級なサブウーファーが奏でるような音を一度聞くと、もう離れられなくなるのです
僕のほころび ぬえるのは おなじ心の 傷をもつ
おまえのほかに だれもない
ここからのコーラスは、楽器の一部となり、いやそれ以上に冴えわたり、シンプルなアレンジと相まってより一層心にしみわたります
作曲家「吉田正」さんはこの旋律ができたとき、己に拍手喝采したのではないかと勝手に想像してしまうほどです
それ程に素晴らしいに曲調であり、完璧なる歌詞との融合だと思います
そばにいてくれる だけでいい
ふたりの愛の誓いが尊すぎるあまり、切ない気持ちにさえなってくるのでした
最初の発売時(1966年)B面だったこの曲を、1972年にシングルA面曲として発売し、あまり注目されなかったため、1977年再リリースしての大ヒットとなります(1974年、あまり知られていないにも関わらず、紅白でこの曲を披露しています)
師匠でもある「吉田正」さんの並々ならぬ力の入れようで、世に出ることとなったのです
この曲に対する思い入れの深さ、絶対的な自信の表れではないでしょうか
改めて、ライブバージョン(最後のリサイタル)も気持ちよく聴かせていただいています
自然と半音上がる歌声は、ゆらゆらと波間に漂うがごとく何ともいえず、ずっとそばにいたくなるほどです。(注:あくまでもたとえであって、そちらの趣味はございませんのであしからず…)
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P.S.
ビクターのフランク永井ヒットを受け、テイチクレコードも対抗馬として「山下清泉(やました きよもと)」という人物に、似たような芸名をつけて新人歌手としてデビューさせ、懸命に売り出したものの全然芽が出ず、その新人歌手は歌手を廃業してシナリオライターに転向した。その人物こそジェームス三木で、歌手時代の芸名をそのままペンネームとして使用している。 (ウィキペディア)
ジェームス三木
”ペンネームの由来は「税務署行き」をもじったもの” という説もあるようですが、私は「フランク永井」対抗説を推したいと思います
昭和にはこのパターンのタレントが多くおられました
「マイク真木」「ジャッキー吉川」「ペギー葉山」「サンプラザ中野」「マッハ文朱」?「ストロング金剛」??(すみません、プロレスラーはほとんどそうでした)
脚本家「ジェームス三木」さんが「フランク永井」さんと同時期に、歌手として活躍?されていたことに驚きです
『赤い迷路』『西遊記』 / 大河ドラマ『独眼竜政宗』『八代将軍吉宗』・・・
70年~80年代にかけて、テレビドラマ黄金期を名シナリオで支えてくださいました
澪(みお)つくし
脚本家「ジェームス三木」の名前を全国にとどろかせたのは、やはりNHK連続テレビ小説『澪つくし』でしょうか
新人「沢口靖子」さんの出世作(衝撃的な美しさでした)でもあり、三木さん自身は「人を愛することの美しさ、そして、震えるような切なさこそ、人間の永遠のテーマ」だと感じ、どうしても書きたかった作品だと語っています
当初は、演技もぎこちなかった「沢口靖子」さん(ドラマ後半になると、見違えるほどの演技力を見せています)
初めてテレビでお見受けした時の「美しさ」は衝撃的はでした
まさに『美しきチャレンジャー』だったのではないでしょうか(偶然?にも、作詞者は『おまえに』と同じ「岩谷時子」さんです)
世の中の流れが「トレンディー」化してきた中での「純愛」路線です
ここに「フランク永井/おまえに」と「ジェームス三木/澪(みほ)つくし」とが見事に重なります
「人を愛することの美しさ」
残り少なくなってきたこの世の時間です
これからの私のテーマとして、心にとめておきたい「言葉」として、大事にしていきたいと思います。
了
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