『哀しみ本線日本海』 森昌子 哀愁の歌謡曲 昭和のCD全10巻 2-6

 

あたりまえでない森昌子

 

1977年の『なみだの桟橋』で実力派演歌歌手としての地位を築き、翌年の『彼岸花』で圧倒的な歌唱力を披露できる作品とめぐり逢います

でも、この頃の彼女の受ける印象は、幼さが残る純朴な少女、ショートカットがよく似合っていました

 

そして1981年、22歳になった「森昌子」さんはすべてが変わっていました

艶やかなロングヘアーに見事なウエーブ

歌い手としての申し子は、美しさも兼ね備え新たなステージへと躍進するのでした

 

この年からから引退までの5年間は演歌の黄金時代でり、「森昌子」が「日本の森昌子」として昭和演歌の覇権を握っていたと勝手に解釈しています

国でたとえるなら、圧倒的な軍事力と天然資源の豊富さにより、私は優雅に統治されていたのでした

 

ただし、リアルタイムでそう感じていたわけではない気がします

引退され、改めて見返してみて気づいたにすぎません

 

失って初めて知るありがたさともいえます

昭和のお菓子「森永チョコフレーク」の代えがたいあの深みように…(日清シスコじゃダメなんです)

 

当時の私は、彼女のパフォーマンスを深くかみしめる事無く過ごしていました

日本国民が「安全な生活と美食」を享受していることを、まるで当たり前のように受け入れているように・・・

 

YouTube動画に見る変遷

1981年:『哀しみ本線日本海』発売

肩に程よくかかる髪は軽く左に流れます

いくら歌い方を抑えても、隠しきれない力を感じます

 

1982年:ウエーブは抑えられ、かなり伸びた髪は右前にまとめられおり、しなやかさが増しています

この時の「森昌子」さんの綺麗さは、デビュー当時を知っている私にとっては衝撃的です

原石に見られた不純物のような交じりは消え、純然たる宝石の輝きを見せ始めるのでした

 

13歳で「スター誕生!」に出場し、翌年『せんせい』で歌手デビュー

「タワシ頭」と揶揄されながら、どうしたら人はここまで美しくなれるのでしょうか

 

1984年:名工によってカットされたダイヤモンドは威厳を伴い、両耳のイヤリングが自信に満ちて揺らぎます(髪は少し短めにカットされているようです)

25歳、そこには完全なる脱皮を成し遂げた鮮やかさが加わります

 

1986年:辛い記憶でしかない「哀しみ本線」をたどるかのように、映像には涙がつたったあとがかすかに残っています

27歳となり円熟を増した彼女の「しぐさ」を、また「歌」を、そしてこの「声」を永遠に聞いていたい気持ちがとまりません

(優秀なYouTubeは、その後(57歳)の動画も紹介してくれますが、サムネも極力見ないようにそっと閉じるようにしています)

 

こうやって時代を追って聞いてみると、”胸の痛み”や”寒いこころ”が年ごとに積み重ねられ、歌の中に深く込められていったように感じるのでした

同じ時代に存在できた幸せに感謝するばかりです

 

そして何より恐ろしいのは、この『哀しみ本線日本海』が「偉大なる人物・森昌子」の頂点ではなかったという事実なのでした

 

森田昌子の挑戦

 

引っ込み思案な彼女のために、親戚が内緒で申し込んだ「スター誕生!」のオーディション

父親の反対にもかかわらず、家計を助けるため13歳の少女は決心します

選んだ曲は『涙の連絡船』…その完成度に誰しも驚愕しました

 

もし1971年、「森田昌子」さんが芸能界デビューしていなかったなら・・・

恐ろしすぎて想像したくありません

 

テレビを見ていた「山口百恵」さん(13歳)はこう思います

「自分も森昌子さんのようになりたい」

スタ誕への応募のきっかけであり、強く背中を押されたに違いありません

 

「自分と同じ年齢の合格者に驚き、乗り出すように画面を見ていた」

「桜田淳子」さんは、瞬時のためらいもなくハガキを出し、両親にも学校にも言わずにオーディションに向かった…といいます

 

「森昌子」さんの存在は、ありとあらゆる所に影響を与えました

昭和歌謡史の命の恩人といえます

 

以前から私は「森昌子復帰後」について、いろいろ否定的なコメントを書いてきました

しかし、13歳の少女の決心は想像を絶するくらいの勇気がいります

新しい歌謡曲の時代ができたのも、彼女無しでは考えられません

 

今は感謝の気持ちでいっぱいです

そして復帰後の動画も少しだけ見たくなってきました

 

どうやら大きな勘違いしていたようです

イメージが壊れることを無駄に恐れていただけでした

57歳の彼女は、歌唱力の衰えを感じさせることなく優しく包み込むように歌ってくれていました

本物の「森昌子」が、円熟を帯びながらそこにいました

「ありがとう、少女よ」「ありがとう、時を重ねた淑女よ」

 

昭和33年(1958年)

 

「森昌子」さんは1958年生まれ

そういわれても、いまいちピンときません

昭和33年

「長嶋茂雄」さんが巨人に入団し、新1万円札(聖徳太子)が発行されています

昨年この世を去った、四つ上の私の姉も昭和33年生まれでした

 

「森昌子」さんにおかれましては、いつまでもお元気で過ごされることを切に願います

また誠に勝手ではございますが、これからもあなた様のYouTu動画がずっと見続けられるよう、切切切にお願い申し上げます

 

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