”おっかのうえ ひ~なげしの はぁ~なで~” の「アグネス・チャン」
ミニスカートでただただ可愛いイメージの彼女ですが、意外と多くの佳作バラードがあったことに気づかされました
ビブラートのない彼女の世界観は今でも新鮮です
直線的で澄み渡るように伸びる歌声は、今更ながらに衝撃的なのでした
何も手を加えられていない貴重な「原石」が、突然舞い降りてきたみたいです
少し遅れて来た「クリスマスプレゼント」、思いよ寄らぬ『ユーチューブ』様からの素晴らしい贈り物なのでした
愛の迷い子 昭和49年(1974年)12月
作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃 編曲:馬飼野俊一
イントロの鈴の音色とギターの裏打ちが「絶対いい曲」を予感させます(この時点で、これからも何度も聴くであろうことを確信する秀逸なイントロ&アレンジなのです)
木枯らしに負けそうなの 背中にあなたの 声が
アグネスの、透き通る高音が響き渡り、木枯らしにロングヘアーがなびいているようです
今も 聞こえてる 寒い空
この「さ~むいいっ~そら」の”いいっ”に、誰しも心を射抜かれます
とても可憐(かれん)であり、なおかつ艶(つや)も感じられるほどの衝撃的な声です
黙ってたのは うれしさ
かみしめてたのに あなた 帰ろうかなんて あまり突然
”か~えろうか なん~て”のところはとても難しい音階だと思うのですが、この安定感・正確さに、今更ながら驚かされます
この音程の安心感は、心の安らぎや幸福感さえ私に与えてくれるのです
たすけに来て こんな気持ちで 帰れない
今 素直に 大好きですと 言えるのです
曲の区切りと歌詞の微妙なズレが、彼女の少しつたない日本語とで、とても心地よく受け入れられるのです
リズムカルな鈴の音が加わり、一気にクリスマスムードに突入したような錯覚に陥るのはなぜなのでしょう
青春時代のほとんどを「クリぼっち」(ひとりぼっちのクリスマス)で過ごしたトラウマがなせる業(わざ)なのかもしれません
AメロからBメロ、そしてこのサビのくり返し
「平尾昌晃」先生は、当時あまりいい印象ではありませんでした(ラ~ブレタ~フローム…のいわゆる「たらし」のあのイメージが強すぎて…)(あくまでも個人的な偏見です)
でもやはり天才作曲家でした
この曲をはじめ、たくさんの名曲に出逢えた喜び、今更ながら感謝してもしきれません
「馬飼野俊一」さんのアレンジは、繊細かつ躍動的で、少しでもいいスピーカー・いいイヤフォンで一つの音も漏らさぬように聴いてみたくなるのです
彼の編曲なくして、昭和の歌謡曲は成り立ちません
”ウィキペディア”で確認していると、その数はあまりにも多く、彼の偉大さは言葉では言い尽くせないのです(『馬飼野俊一編曲集ベスト30』みたいのがあったらなぁ)
「草原の輝き」「逃避行」「コーヒーショップで」「恋する夏の日」「石狩挽歌」「とまり木」「桜前線」「なのにあなたは京都へゆくの」「想いで迷子」「池上線」「君が美しすぎて」「面影平野」「ぼく」「さそり座の女」「立待岬」「恋文」「笑って許して」・・・
心配ばかり 数えて しあわせが 横むいちゃう
(中略)
愛がひとつ 世界をひろげて くれたのです・・・
2番からの歌詞は、ひとつの場面場面に重みが増していきます
「安井かずみ」先生の面目躍如たる言葉の使い方です
女王様のような勝手なイメージもあり、足の指先にひれ伏すしか選択はありません
『愛の迷い子』だった主人公は、また一つ階段を上っていくのでした
それはまるで、「アグネス・チャン」が白いハイソックスを徐々に卒業していったように・・・
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P.S.
アグネス・チャン(陳美齡)とそのたち偉大なる関係者たち
この曲の1~2年後、当時の若者に「アグネス・ラム フィーバー」が起きました
同じ所属事務所でもあり、2人まとめて「両アグネス」と呼ばれることもあったようです(ウィキペディア)
でも「アグネス」と言えば「チャン」(「チャンカワイ」ではありません)さんです
「豊満な…」よりも「白いハイソックス」だったのです
「クラリオンガール」など見向きもせず(?)、一心にのちの「ユニセフガール」を見つめていました
幼くもあり、微笑ましくもあった純真な少年でもあったのでした(流れ的に、少し事実と違う脚色がはいってしまいました)(ラムちゃんも違う意味で衝撃的だったのです)
ハロー・グッドバイ
「ハロー・グッドバイ」は、アグネス・チャンの歌唱で最初に発表された楽曲。1975年12月10日に発売されたシングル「冬の日の帰り道」のB面に収録された。作詞は喜多條忠、作曲は小泉まさみ、編曲は萩田光雄による。(ウィキペディア)
「この曲に日の目を見せてくれありがとう」とアグネスが語ったように、「柏原よしえ」『ハロー・グッバイ』(現:柏原芳恵)は、1981年発売のカバー・シングルがヒットしました(私自身も大好きな曲で、最近では「讃岐裕子」のカバーでよく聴いています)
改めて「アグネスバージョン」を聴いてみると、その完成度の高さに震えます
これほどの作品がB面に普通に収録されていたのです(編曲の「萩田光雄」さんも凄すぎました)
1972年より、アイドルの先駆けとして活躍し続けていた「アグネス・チャン」
この曲が発売された翌年(1976年)、いったん芸能活動を休止されます
「安井かずみ」「平尾昌晃」「馬飼野俊一」「喜多條忠」「小泉まさみ」「萩田光雄」(敬称略)
改めて「昭和人おそるべし」なのでした
そして「アグネス・チャン」
飾らない歌い方、飾らない姿は、まさに「歌の妖精」そのものでした
当時の映像を見ているだけで、ただただ癒(いや)されるばかりです
飾らないのではなく、飾る必要がなかったのだと素直に納得してしまいます
活動休止まえには『白いくつ下は似合わない』(作詞:荒井由実)をリリースしています
この歌を歌う哀しい表情は、彼女には似合いません
だって、「アグネス・チャン」は、昭和のあの時代に燦然(さんぜん)と舞い降りた「妖精」だったのだから・・・
了
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