昭和46年デビューより8曲、東宝レコード第1号の「研ナオコ」さんの4年間は、厳しい状況でした
阿久悠&森田公一のゴールデンコンビも完ぺきではなかったのです(4枚目~8枚目を担当されています)
レコード会社も変え、当時はあまり注目されていなかった方々に依頼します
その方々とは
【阿木燿子&宇崎竜童】
新たなゴールデンコンビの登場です
愚図 昭和50年(1975年)
作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 編曲:竜崎隆路
阿木燿子の世界
あの娘(こ)がアンタを 好きだって こっそり私に 打ち明けた時
友達だもの「まかせときなよ!」なんて 心にもない事 言いちまった
「アンタ」であり「言いちまった」です
この言葉から、主人公の飾ることをしない、魅力的な女性をイメージさせます
あの娘はまつ毛が 自慢の娘(こ)で 瞬(まばた)きしながら 人を見るのさ
(少し哀れな感じです)
あの娘は精一杯 おめかしをして 私は色のあせたジーパン姿
「あの娘」の立ち位置は、同性からは必ず嫌われてしまう元アナウンサー「小林麻耶」さんに近いでしょうか(決めつけてすみません、あくまでもイメージです)
引き合わせた場所は、”「アンタと行きたかった」コーヒーショップ”です
(名曲『コーヒーショップで』(あべ静江)もかなりヒットしました)(当時のトレンド的な言い方だったかもしっれません)(ちなみに私は「きっちゃてん」と言っていた)
そんなことはどうでもいいのですが、
「色のあせたジーパン姿」が、45年もの間、脳裏(のうり)の片隅に残り続けていたのです(自分でも理由は定かではありません)(これだけ詩にインパクトを残すのが、「阿木燿子」さんなのでしょう)
本当はアンタが 好きだなんて 今更言える訳ないじゃないの
逃げるように、コーヒーショップを出ていきます
でも自分のことを
私って 本当に
愚図なお人好し(1番) /愚図なおせっかい(2番)/愚図なおばかさん(3番)
お人好しで、少しおせっかいな面はあるかもしれません
けれど彼女は、「研ナオコ」さんと同様とに、私の中では、「好きになってしまう」タイプの女性なのです
「あばかさん」でもなければ、「愚図」なんかでは決してありません
一年草 昭和51年(1976年)
宇崎竜童の世界
こんな衝撃的なイントロを聞いたことがありません
当時はベースが何かも全く知らない私です
何となく「いい曲」ぐらいにしか残っていませんでした
いま改めて聴いてみると、出だしの「ベース音」(たぶんですが)は異次元の世界へ運んでくれるのです
前奏時間は約23秒
魂(たましい)を揺(ゆ)さぶられます
低音から始まるメロディーラインは、徐々に「魂」が解き放たれていき、聞き始めてから約56秒
この曲、この旋律に触れた喜びを実感するのです
曲の終わり方も特徴的です(この余韻の残し方このこそが、宇崎竜童さんです)
「三色すみれ」(1番)・「忘れな草」)・(2番)・「コスモス」)・(3番)と好きな花が出てきます
好きな花は みな 一年草
女ごころです
ここにも、阿木燿子さんの世界があります
主人公の彼女は、一年の短い恋の儚(はかな)さを、花に例(たと)えて表現します
そんな風に感心しつつ、最後の歌詞にたどり着きます
そう言って去った あなたのことを 思い出すのも 今は辛いの
分かったつもりの「素人の浅はかさ」でした
「好きな花は みな一年草」
別れた彼の言葉でもあったのです(阿木燿子さんの詩を解説するなど、まだ30年早かったようです)
研ナオコ
「百年に一人出るか出ないかの不世出の美人」(美人画で知られた画家・岩田専太郎 ウィキペディアより)
お顔のことはさておき、彼女の「イメージ」と彼女の「歌唱力」なしには、この二つの作品は成立しません
そして「研ナオコ」さんは、第二ステージへと羽ばたきます(『あばよ』『窓ガラス』)
「中島みゆき」さんの表現者として第一人者であり、確固たる存在感を示していきます
一年のブランクの後『かもめはかもめ』がヒットした時は、素直に嬉しかったです(ぬぐおうともしない黒い涙が、すべてを流してくれたのでしょう)
もともとこの歌、彼女が歌うために作られていたなんて・・・
いい曲、いい雰囲気です
&
P.S.
阿木燿子&宇崎竜童
昭和51年(1976年)2月『一年草』を発売し、6月『横須賀ストーリー』(山口百恵)・9月『思いでぼろぼろ』(内藤やす子)と立て続けです
阿木燿子&宇崎竜童&山口百恵
『横須賀ストーリー』は山口百恵さんからの要望での作品提供です
ご存じのように、これ以降、三人ともに快進撃を続けます
いずれにせよ、前年の『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』そして
三者三様の原点がこの『愚図』『一年草』にあったと信じてやみません
(百恵ちゃんも同じに衝撃を受けたに違いありません)
(違うところはただ一つ、阿木&宇崎コンビの実力を見抜いた百恵ちゃん、当時16才)(今頃感心しているこのオヤジ57才、悲しい限りです)
了
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