この歌に聞き覚えがあったのは、彼女が子育ても一段落し、1978年(昭和53年)からまた歌手活動を再開されたからだったようです
「日野てる子」という名前もタイトル『夏の日の想い出』も記憶にありませんでした
(最初、題を聞いたとき「夏がく~れば思い出す…」の『夏の思い出』が頭をよぎってしまいました)
1962年、全日本ハワイアンコンテスト優勝をきっかけに翌1963年に上京。バッキー白片らに師事する
1965年に発表した「夏の日の想い出」がヒット。本分のハワイアンとは趣を異にする曲ではあったが、100万枚を超えるミリオンセラーとなったことから自身の代表曲となり、同年のNHK紅白歌合戦にも初出場を果たした (ウィキペディア)
1962年(昭和37年)といえば私にとっても思う出深い(?)年です(私自身がこの世にデビューというか誕生したのです)
当時(昭和40年)の紅白の映像はとても新鮮で、「日野てる子」さんは凛(りん)として歌っておられました(長いストレートの黒髪と花の髪飾りがトレードマークだったようです)(バックでムームーを着た水前寺清子さん・三沢あけみさんのウクレレ伴奏も衝撃的です)(三沢さんはコメントで教えてもらって何とかわかりました)
夏の日の想い出 昭和40年(1965年)
作詞:作曲 鈴木道明
作者のお名前に見覚えがあったのは『女の意地』(西田佐知子)も作詞作曲されていたからでした
どちらも何となく海の波間に揺(ゆ)られながら、心地よく揺蕩(たゆた)うことができるのです
1965年(昭和40年)バージョン
哀しい歌詞には少し不似合いな感想ですが、何とも不思議なほどのに魅了されるのでした
きれいな月が 海をてらし たたずむ影は 砂にうかび
なるほど、月の影が実際に揺蕩(たゆた)っていました
あなたの熱い くちづけが つめたい頬に よみがえるのよ
伊東ゆかりさんが「あなたの噛んだ 小指が痛い…/『小指の想い出」」と歌っていた1967年を遡(さかのぼ)ること2年も前です
この時代では、結構攻めてきた歌詞ではないでしょうか
夏の想い出 恋しくて ただひとりだけで 来てみたのよ
紅白の初舞台で歌う彼女は、遠くの海を見つめるかのように、何の曇りもありません
その瞳は美しく輝き、ほほえみすら浮かべているかのようでした
そしてこの歌のうまさは何なのでしょう
本物のひとだけが許されるであろう「余裕の世界」を楽しんでいるかのように・・・
冬の浜べは さみしくて よせる波だけが さわいでた
最後はとても特徴的なAメロに戻り、なんとなく波の音が聞こえてきそうな、そんな余韻にひたれる思いがいたします
この1965年(昭和40年)/第16回・紅白歌合戦の貴重な映像はとても癒(いや)されます(特に殿方には)(しかも若き「こまどり姉妹」のハプニング映像のおまけ付きです)
そして「日野てる子」さんはこの十三年後、鮮やかにテレビの世界へ再度登場してくださいました
『ザ・ベストテン前夜祭』
初回放送の前週(1978年1月12日)に『ザ・ベストテン前夜祭』を放送
「スポットライト」のコーナーもあり、日野てる子が「夏の日の思い出」を歌った (ウィキペディア)
TBSの生放送・音楽番組「ザ・ベストテン」に前夜祭があったのは知りませんでした
「山口百恵」「桜田淳子」「野口五郎」「西城秀樹」「郷ひろみ」「殿様キングス」
こうして名前を書いているだけでワクワクし、嬉しくてたまらないのです
実際、当時の映像が見れたらどんなに幸せでしょう
豪華なゲスト人のあとは、ベストテンの披露です
「1位・森田公一とトップギャラン/青春時代」
「2位・沢田研二/勝手にしやがれ」
「3位・小林旭/昔の名前で出ています」
「4.5位・ピンクレディー/渚のシンドバット・ウォンテッド」
「8位・清水健太郎/失恋レストラン」
「9位・小柳ルミ子/星の砂」
「10位・松崎しげる/愛のメモリー」
(前夜祭順位・敬称略)(6位・石川さゆり/7位・さだまさしさんは出席されていません)
演歌界から2曲入っているのも嬉しい限りです(しっかり昭和しています)
総勢15名が出席し、そんな中で「日野てる子」さんの感動の「スポットライト」での登場です
今週のスポットライト / 前夜祭バージョン
トレードマークだった「花の髪飾り」付けた彼女は、鮮やかなブルーの衣装とはまさに対照的
司会者(久米宏&黒柳徹子)の質問をに伏し目がちに、そして遠慮がちに受け答えをされていました
黒柳さん:「お子さんは?」
「二人でございます」
黒柳さん:「ご家庭に閉じこもって、他の歌手たちが活躍されてるのをご覧になって…?」
「あの…あまり…忙しかったものですから…」(決してあまり興味がなかったとはいいません)
久米さん:「お子さんは、ママのカンバックについて何か…?」
「いえ、わたくしはわたくしのテレビ・ラジオなどは一切見せていませんので…」(あくまでも遠慮がちに)
黒柳さん:「ほかの歌手たちのテレビ番組とか見てらっしゃる、お子さんは?」
「いえ…あの…テレビは…見せたことが…」(ちょっと困ったような、そして申し訳なさそうに)
「こんなところで申し上げるのは…」
黒柳さん:「テレビはあるんですか?」
「ないんです!」・・・
(久米さんが大うけしていました)(これだから生放送は面白いです)
「日野てる子」さんは終始笑顔で、上品に、そして綺麗な日本語で答えておられました
彼女の人生観が垣間見れ、益々惹かれていくのでした
歌が始まるとガラリと一変します
少しだけ声は低く深みを増しているように思われます
長きブランクをまったく感じさせない歌唱力は、驚くばかりで想像をはるかに超えてしまいました
「当時より進化した状態で再び披露したい」
そんな思い(勝手に想像しています)が伝わるような、プロとしての矜持を感じてなりませんでした
しかし、この素晴らしいパフォーマンも、今では再び目にすることはできません
「ハワイアン」というジャンルを一筋に歩み続けた偉大なるアーティストの奇跡を、一人でも多くの方々が辿(たど)っていただければ幸いに思います。
P.S.
反転フラップ式(パタパタ式)案内表示機
反転フラップ式案内表示機(はんてんフラップしきあんないひょうじき、英: Split-flap display)とは、文字を上下に分割して印刷した複数のフラップを回転させることで表示を行う装置。変更稼働中の音から「パタパタ式」、開発者の名前から「ソラリー式」(近畿日本鉄道など一部の鉄道会社では「ソラリー」)ともいう。また、「多面反転表示式」ともいう (ウィキペディア)
「ザ・ベストテン」の順位発表といえば、あのパタパタのランキングボードです
担当プロデューサーが羽田空港で見た案内表示板をヒントにして作製されたと言われ、今思うとあのアナログ感がとても素晴らしいです(点数は微妙に遅れて表示されていました)
ガソリンスタンドの数量表示や置時計にもあったなぁ~などど懐かしく思っていると、「パタパタ時計」なる名称も付けられていました
”はらたいらに3000点”の「クイズダービー」にも採用されたりと昭和感満載の「パタパタ式」でした
現在では、液晶ディスプレイ(LCD)の優位性におされ、姿をあまり見かけませんが、「20年以上長持ちする・消費電力が低く省エネ・見えやすい」などという長所があり、いなど再び見直されているようです
「歌謡曲」「演歌」「フォーク」「ハワイアン」を含む昭和歌謡全体も、今一度広く見直される日が訪れることを熱望してやみません。
了
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