川中美幸 遣(や)らずの雨 代表曲で決まりです  

1980年、文化放送の深夜放送「走れ!歌謡曲」のパーソナリティーに局アナ以外で初めて抜擢され、自身のヒット曲『ふたり酒』が生まれることになった。  (ウィキペディア)

「川中美幸」と改名されて4年目に、大ヒットを手にされます

18歳で大阪から上京し(1973年「春日はるみ」にてデビュー)7年の長き月日に耐えました

 

1977年(昭和52年)改名されて以来、「川中美幸」さんは1年たりとも途切れることなく歌をリリースし続けておられました(『東京シティ・セレナーデ』を2020年4月発売しています)

 

計88曲の中から、やはり有名どころの『遣らずの雨』

私の大好きなこの歌を取り上げさせていただきました

遣らずの雨(やらずのあめ) 昭和58年(1983年)

 

【帰ろうとする人をひきとめるかのように降ってくる雨】(「遣らず」は、行かせないの意)

そんな雨にどんな想いが込められ、人は何を感じて見つめていたのか・・・

 

作詞:山上路夫/作曲:三木たかし/編曲:高田弘

 

はじめのこの二小節、作曲家「三木たかし」さんの傑作です

この語りかけるような音階を何度も聴きたくて、聴きたくて・・・

 

元気で暮らせよ なんて 優しい言葉 言って欲しく なかったわ

別れのタイミングでのこの優しさ

真の優しさとはいったい何んなのか?

そんな思いにまで引き込まれてしまう出だしの歌詞です

 

あなたへの想いを それじゃ たち切る力も 弱まるは

一度愛した人への想いを断ち切るなんて、決して簡単には出来ません

そんな、どうしていいか分からない苦しい胸の内を、これまでも昭和の歌は数々たくさん訴えてきました

 

作詞家「山上路夫」さんは ”遣らずの雨” を背景に、雨に濡れ・涙にぬれる女性を描きます

 

差し出した傘も 傘も受けとらず 雨の中へと 消えた人

見送れば もう小さな影ばかり  私も濡(ぬ)れる 遣らずの 雨

 

別れに雨はよく似合います

また、「私も濡れる」というつぶやきが好きでたまりません

この言葉に余韻を残しつつ、これから先も彼女はずっと待ち続けるのでした

 

 

今回初めて【遣らずの雨】という言葉とその意味を知りました

人を引き留めることの是非については意見が分かれるかもしれません

人はそれを未練と言ったり、情の深さとたたえたり・・・

 

しかし、このようなシチュエーションで降ってきた雨を【遣らずの雨】と名付ける古き日本人の感性に、ただただ尊敬するばかりです

かの「トランプ」さんや「習近平」さんの国々にもあるのでしょうか?(あまり想像できません)

 

菅 義偉(すが よしひで)」さんには、ぜひこの感性を持ち続けてほしいと願うばかりです

 

『遣らずの雨』のヒットにより、初出場の曲『ふたり酒』(1981年)からずっと、24回連続で紅白歌合戦に出場されていました

1992年12.31(平成4年/第43回紅白歌合戦)には、もう一度この歌を披露されておられ、彼女の実力が遺憾なく発揮されていました

 

そして現在でもなお活躍されている「川中美幸」さんの偉大さと感謝の念を感じずにはおれませんでした。

12月13日 (日) The Okura Tokuo(オークラ東京)にて川中美幸バースデー&クリスマスディ ナーショーを開催いたします。ご希望の方は下記の通りお申し込みください。 (川中美幸オフィシャルサイトより)

 

(オフィシャルサイトさん、Tokyoのまちがいでしょうか?)

いずれのせよ、花の東京でのコンサートを観に行ける身分になれるよう、明日からも頑張っていこう!

などど、どうでもいいことを「あれ~これ 思う 秋~の日~」でした。(最後の『』は思秋期/岩崎宏美さんでお送りいたしました)

 

2021年2月3日(水)発売 45周年記念シングル第一弾「恋情歌」

 

 

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P.S.

遣隋使(けんずいし)

遣隋使(けんずいし)とは、推古朝の時代、倭国(俀國)が技術や制度を学ぶためにに派遣した朝貢使のことをいう。600年(推古8年) – 618年(推古26年)の18年間に3回から5回派遣されている。なお、日本という名称が使用されたのは遣唐使からである。 (ウィキペディア)

 

『遣らずの雨』のこの漢字『遣』といえば遣隋使(その後の遣唐使もいたがよく覚えていません)

遣隋使といえば「小野妹子(おののいもこ)さん

 

実は「小野妹子」「蘇我馬子」なる人物が男性だったことが分かったのは後年です(軽い衝撃を受けた記憶があります)

 

当時、技術や制度を学ぶためとはいえ、船旅は命がけだったと聞いています

はるか「隋」の国へ旅立つことに躊躇(ちゅうちょ)はなかったのでしょうか

 

命惜しさに旅立ちを引き留める雨・・・

歴史的偉人・小野妹子さまに限ってそのような遣らずの雨は、一切降ることはなかっただろうと確信いたします。

 

 

雨やどり 都はるみ 昭和52年(1977年)  

 

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