タンポポ(フォークデュオ) 嵯峨野さやさや 京都の静けさを歌います 

何気にTV「日本昔ばなし」のオープニング曲が好きです

素敵なコーラスが流れてくると、ただただ癒(いや)されます(エンディング曲『にんげんっていいな』も、生きている幸せを感じます)

 

そしてなぜか、『嵯峨野さやさや』という曲が思い出されたのでした

 

嵯峨野さやさや 昭和50年(1975年)

作詞:伊藤アキラ 作曲:小林亜星 編曲:萩田光雄

 

”タンポポ は、1970年代後半に活動した姉妹フォークデュオである” とウィキペディアで紹介されていました

サビの部分しかあまり知らなかった私は、「フォーク」いう言葉に少し戸惑ってしまいます

曲を書いた「小林亜星」さんは、「パッ!とさいでりあ~」とたわいもなく陽気に歌っていましたが・・・

やはり天才でした

 

作詞家「伊藤アキラ」さんは、この作品を含め、数多くのCMソングを世に送り出しておられます

「この木なんの木(日立の樹)作曲:小林亜星」「パッ!とさいでりあ(新興産業)作曲:小林亜星」「幸せの青い雲(青雲のうた 日本香堂)作曲: 森田公一」「やめられない とまらない(カルビー かっぱえびせん)作曲:筒井広志」

 

中でもこの「嵯峨野さやさや」の詩は芸術的で、京都を知らない私にも、「歴史」「静寂」が伝わってくるようで、何だか高尚(こうしょう)な気分にさせてくれるのです

 

そして「萩田光雄」さんの和風テーストな編曲が、優雅な古都の色どりを演出してくださいます

 

京都嵯峨野の 直指庵  旅のノートに 恋の文字  どれも私に よく似てる

「直指庵」・・・「じきしあん」と読むようで、いきなり高尚です 京都なのです

そして淡い恋の香りが漂ってきます

 

嵯峨野笹の葉 さやさやと 嵯峨野笹の葉 さやさやと

 

がの」「さのは」「やさやと」

言葉を重ねる力、言い回し、プロの仕事は違います

 

特に「さやさやと」の表現は、控えめな美しさがあり、ここに登場する京都嵯峨野の「庵」「舎」「寺」にぴったりだと感じました

(みやび)と言わざるを得ません

 

この世界を「タンポポ」のお二人の素晴らしいハーモニーで聴かせてくれるのです

この恍惚(こうこつ)感ともいうべき状態を味わうと、〇薬のごとく一歩たりとも離れることはできなくなってしまいます(脳内にドーパミンが押し寄せるのです)(あくまでもイメージです、ドーパミンも何者かよく知りません)

 

しかし、この雅な世界から突き落とされようとは・・・

2番です

雨の落柿舎 たんぼ道 藪の茶店で書く手紙

きのう別れた あの人に

 

優雅な京都散策ではなかったのです

女一人の辛い旅です

 

3番になると・・・

朝の祇王寺 苔の径 心変わりを した人と

責める涙が ぬらすのか

 

ほんのりと恨み節も入ってきます

それでもやはり、透き通る声と絶品のハーモニーにより、清々しさが漂い続けます

曲の良さが、補ってなお、余りあります(「この木なんの木」の作曲はダテではありません)

 

そして最後の4番

京都嵯峨野に 吹く風は 愛の言葉を 笹舟に

のせて心に しみとおる

 

あふれる想いを、恨みともども清流に流します

これほど心にしみとおる歌を、私は他に知りません

 

嵯峨野笹の葉 さやさやと 嵯峨野笹の葉 さやさやと

 

何度も何度も脳内で再生し続けています

静かな京都とこの女性の気持ちをのせた笹舟に想いを馳(は)せるばかりなのでした

 

日本人としてずっと心に残しておきたい

大切な歌に出逢えた喜びが満ちあふれるます

そんな秋のとある一日が「さやさや」と過ぎていきました。

 

P.S.

直指庵(じきしあん)

「直指庵」は『直指人心 見性成仏(じきしにんしん けんしょうじょうぶつ)』という禅の言葉が由来となっていて、これは『直ちに自分の心をさしてごらんなさい。そこには仏性(ぶっしょう)、つまり、仏になることができる性質(種)がある・・・  ”京都トリビア”より

よく分かりませんが、初秋にじっくりと自分を見直してみるのも悪くはありません

「直指庵」は紅葉の場所としても隠れた人気があるようです

 

本文の歌詞内にあるように、ここには「想い出草」という来訪者が想いを綴(つづ)るノートが実際にあるようです

訪れた際には、恋の文字は綴れませんが、嫁と良好な関係を保ち、お互いをつなぎ合わせ、うまく綴(と)じてみたいものです

 

落柿舎(らくししゃ)

落柿舎(らくししゃ)は、京都市右京区の嵯峨野にある草庵である。松尾芭蕉の弟子・向井去来の別荘として使用されていた場所であり、その名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによる。芭蕉も3度訪れ滞在をし、『嵯峨日記』を著した場所としても知られている。  (ウィキペディアより)

庭には「去来」の詠(よ)んだ

”柿主(かきぬし)や  梢(こずえ)はちかき  あらし山”

の句碑があるようです

 

大変僭越(せんえつ)ですが、私も倣(なら)いまして一句

書主(かきぬし)や  大樹はとおき  荒らき文(ふみ)

「このような文章では、とても大成できそうにないの意」        よみ人:仙田毅

大変失礼いたしました

 

祇王寺(ぎおうじ)

奥嵯峨にある真言宗大覚寺派の仏教寺院。寺自体は尼寺である  (ウィキペディアより)

 

尼寺であるらしい

尼寺の 和尚(おしょう)さんが・・・

尼寺に和尚さん?

 

ちょっと調べます

調べた自分が情けない・・・ とうぜん正しくは山寺(やまでら)ですよね(トホホです)

 

京の雅(みやび)を理解するには、まだかなりの年月が必要なようです。

 

文部省唱歌  芹洋子 (四季の歌)

やまがたすみこ 『風に吹かれて行こう』 天使の声で悩める人にやすらぎを…

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