同級生がいざとなると怖気づき、同級生たちに勧められたて出場した「スター誕生!」オーディション
最終的に優勝し、父親が芸能界入りに大反対で一度は断るが、やむを得ず「3年やってみて」という説得をのんでの歌手デビューでした
「片平なぎさ」さんは、人気ドラマの影響で、「魔女」・「バケモノ」などと罵(ののし)られたこともありましたが、理知的で一歩も二歩も控えめな素敵なお嬢様だったのです
そんな初々しい彼女は、デビューより続けての名曲4曲、これら素晴らしい作品でアイドルスター誕生となりました
純愛 1975年(昭和50年)
デビュー曲です
彼女のイメージにぴったりな歌でもあります
作詞:山上路夫 作曲・編曲:三木たかし
あなたは 夜の駅へ
ひとりで 消えていくの
久しぶりにこの曲を聞いて、次から次へと歌詞が出てくる自分に驚いています
デビュー曲だと知らされさらに驚き、「スター誕生!」出身と分かり、人の記憶の不思議さを痛感します
多感な時期にい聞いていた「片平なぎさ」さんの曲は、どれも私の「海馬」を刺激し、貧弱な脳に、大きな喜びを与えてくれるのでした
来るなと ひどい言葉
私に 残して
ここからのサビを二重に織りなす展開は、悶絶しそうなほどに、「脳」が活性化されていくのです
認知症発症を、5年は遅らせて頂いた気がします
異性 1975年(昭和50年)
作詞:山上路夫 作曲・編曲:三木たかし
デビュー曲と同じ布陣で臨みます
ムード歌謡を思わせるようなイントロに、かげりなど一切感じさせません
リズムカルであり、そして「若さ」という何物にも代えがたい力で突き進みます
サビの最後の歌詞に、忘れかけていた大事な言葉を思い出させてくれます
ただひたむきに 生きること
ただひたむきに 愛すること
打算・策略・そして懐柔
忖度(そんたく)が身に染みた我が身には、トゲが刺さったような痛みが続くのです
「ひたむき」は漢字で「直向き」が当てはまります
この懐かしいというか面映ゆい響きが残る『異性』
あなたはこの言葉を口にした時から、どれくらいの月日がたっていますか?
ただひたすらに、真っすぐに「異性」を想い続けていたあの頃から・・・
美しい契り 1975年(昭和50年)
この曲は山口百恵と西川峰子の中間をゆく歌謡曲ですね (YouTubeコメントより)
「言い得て」(しっかり的を射て言い切っている)「妙」(不可思議・素晴らしい)
まさにこの言葉がしっくりとくるような、素晴らしいコメントだと思いました
3・4曲目は、作詞者が「千家和也」さんに変わります
奇しくも、「山口百恵」さんのほとんどの初~中期作品を手掛けておられます
作詞:千家和也 作曲・編曲:三木たかし
あなたの罪は 私の罪
一緒に耐えます
この重い歌詞に、当時16歳の彼女は、大きな瞳で一点だけをみつめながら歌っている映像がありました
一緒に耐えるしかありません(?)
人が 聞けば 笑う ような
一途な 恋です
笑うなんていったい誰ができましょう
「一途」(いちず)
この言葉こそが一番似合う「片平なぎさ」さんなのでした
ちなみに、「やしきたかじん」さんの『ICHIZU』も私は好きです
それにしても、たとえに「西川峰子」さんを出してきたのは、秀逸すぎます
そして、あまりレコードなど買わないおやじが『あなたにあげる』を突然買ってきたのは何だったのだろう
『美しい契り』は、うっすらと演歌の香りを漂わせながら、「一途な思い」と「昭和な思い出」を運んできてくれたのでした
頬にかかる涙 1975年(昭和50年)
作詞:千家和也 作曲・編曲:三木たかし
あなたが 死んだ 悲しい通知(しらせ)
信じるなんて こと とても 無理です
彼女の歌には、まだまだ試練が続きます
前半の感情の抑えるかのような旋律と、サビへの盛り上がりにおいて、やはり個人的には一番好きな歌かもしれません
炎 くべた 手紙 燃えています
灰に なった 写真 ゆがんでます
ここからのサビのリズミカルさは、かすれそうでかすれない声と共に特に印象的です
しかし、これほどにひどい仕打ちがあっていいのでしょうか
感情の盛り上がりと共に、ある後ろ姿がよみがえります
「かまど」の前に座り、薪をくべていたおばあちゃん・・・
吹きこぼれるコメ汁と、ほんのりと黒く色づいた「おこげ」
昭和の歌には、今でも残したい日本語がたくさん眠っているのでした
教えて 下さい 私のすべき ことを
この歌は、こう結ばれています
その後、彼女は女優への道へと進んでいきます
片平なぎさ
本人曰く歌は「嫌い」。お客さんから「歌が下手」「衣装がおかしい」と思われているんじゃないかと思い込んでいたようです(ウィキペディアより)
「夜のヒットスタジオ」で聞く限り、オリジナルとの違いはないほどに、歌はうまいと思います
愚直で丁寧にきっちりと、素直な歌い方をされています
いい曲ばかりです
何といっても可愛いし、名前さえも素敵です
しかし結果は・・・
歌謡界はとても不思議で、恐ろしい世界なのかもしれません
彼女がデビューした翌年(1976年)、「ピンク・レディー」が『ペッパー警部』で登場しました
デビュー前からいろんな活動をこなし、ある種の戦略も立て、彼女たちは見事に成功を収めました
友達の代役としての出場とは対照的な練り込まれた演出です
「なにがなんでも成功して見せる」という覇気(はき)の違いでしょうか
どちらが良い悪いではなく、生き方の違いでしょう
「スチュワーデス物語」(私はみません)で女優としても大成し、その後の活躍は皆さんもご存じのとおりです
映画初主演作となる『瞳の中の訪問者』では、大林宣彦監督から「美しい映像にしたい。(少し沈黙の後)脱いでくれないかな?」との依頼があったようです
「絶対に脱がない!」と父親との固い約束があったので結局その場では判断できず一晩悩んで考えた結果、断る事となった。それ以降、現在に至るまで片平が撮影で脱ぐ事はなかった (ウィキペディア)
古い人間かもしれませんが、いろんなエピソードを知れば知るほどに、「片平なぎさ」さんへの『純愛』は深まるばかりなのでした。
P.S.
1975年(昭和50年)のスターたち
1975年の同期デビュー者たちは意外と少ないです
歌唱力女王「岩崎宏美」さんを除けば、結構個性的な人たちもデビューしていました
少し色黒でエキゾチックな顔立ちの「黒木真由美」さん(予選で、山口百恵の「青い果実」を歌い合格。決勝では岩崎さんよりも多い18社がプラカードを上げました)
今でもずば抜けた可愛さを誇る、永遠の美少女「岡田奈々」さん(今でも、『青春の坂道』駆け登り続けています)
唯一無二の境地を極めた、アクションスター「志穂美悦子」さん(ブロマイドの売上がNo.1となるなど、数年間その地位を固守した)
13歳で『スター誕生!』にチャレンジ、「山口百恵」ともに決戦大会に出場し、落選…
「山口百恵に敗れた」という形容で呼ばれるようになった、女子プロレス界・テレビ界を一気に盛り上げた「マッハ文朱」さん
(歌手デビューシングルの「花を咲かそう」は40万枚のヒットは意外過ぎます)
これだけの歌手・個性タレントを輩出(はいしゅつ)した1975年です
双子の「ザ・リリーズ」がかすんでしまったのも仕方ないことかもしれません
『好きよキャプテン』は『雨の西麻布』(とんねるず)と共に昭和の名曲に違いありません。
了
堀ちえみ 『 待ちぼうけ』 ディズニーウォッチが何故か懐かしい
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