『柿の木坂の家』 青木光一 「望郷の思い」と「初恋」と…

今が旬の果物「柿」、一番大好きなフルーツです

おかげで、柿の皮をむくのだけは上手になりました

いまだにリンゴや梨はハードルが高く、途中でプチプチ途切れます

 

最後まで柿の皮が切れずにむけた時の達成感は、ツムツムの「ガストン」を完全攻略した時の喜びに似ています

ネットで柿の保存法を調べると、濡らしたキッチンペーパーをへたの部分にくるみ、後はラップ掛けして冷蔵庫へ(最近、家にいる機会が増え、女子力がぐんぐんアップしています)

 

かくして、いつでも食べれるというかなりな幸福感に包まれながらスマホをいじっていると、ふとこの題名に目がとまったのでした

 

柿の木坂の家 1957年(昭和32年)

作詞:石本美由紀 作曲:船村徹

 

作曲者の「船村徹」さんには、こんなエピソードがありました

故郷栃木・塩谷町への思いが終生強く、故郷に指定廃棄物最終処分場の建設話が持ち上がった際には「故郷の山や川を汚してはいかん」として住民等による産廃施設反対運動を支持した (ウィキペディア)

ふる里を愛し、自然を愛した「船村徹」先生

この曲にも、そんな思いが込められているからこそ、初めて聞いてもなぜか懐かしい

自然と心があたたまる不思議な気持ちにさせてくれるのでした

 

名作『悲しい酒』を書かれた、昭和の歌謡界を代表する作詞家の一人、「石本美由紀」先生

実は年代的によく知りません(どうも、男性の方のようです)

 

春には 柿の花が咲き 秋には 柿の実が熟(う)れる

この唄を知ることで、初めて柿の花の存在を知りました

余裕のなさが、自然に対する感受性を遠ざけ、大事なものを見過ごしていたのかもしれません

 

【以下は蛇足部分です】

やはり、四季の移ろいを肌身に感じることは大切です

そこで、夏と冬も登場していただきましょう

「夏にはハスの花が咲き、冬にはレンコンの実が…」

所詮、素人の悲しさ、風情や趣のかけらもありません

 

柿の木坂は 駅まで三里

ここの部分がわずかに記憶に残っています

印象的でとても素敵な旋律だと思います

いつ頃聞いたか分かりません

しかし、昭和の歌には知らなくても懐かしい響きが訪れてくるのです

 

思い出すなア ふる里のヨ 乗合バスの 悲しい別れ

「青木光一」さんの人柄がしのばれるような優しい歌い方に心が和みます

見覚えはありませんでしたが、何だかほっこりする感じで一つ一つ言葉を大事に歌っておられます

 

3番の歌詞に変わります

ふる里を懐かしみ望郷の念を抱きつつ、やはり最後は「あの娘」のことが気になります

柿の木坂の あの娘(こ)の家よ

逢ってみたいなア 今日も尚ヨ

 

ふと、ある家が思い浮かびます

 

昭和の青春あるあるです

用もないのに好きな女の子の家の前まで行き、少年はそっと窓を見上げるのでした

 

今なら、ストーカーと言われ変質者扱いでしょう

50年以上が過ぎた今でも、その家の近くを通るたび、横目でチラッと見ている私は、確かにヤバいやつなのです

 

高校を卒業して数年後、彼女を見かけた気がします

運転していた車は、妙によく似合っていた「赤のラングレー」幻影もしくは夢・まぼろしの可能性も充分あります)

 

5~6年前の同窓会で何十年ぶりに会った彼女はとても優しく、少しお話させて頂きました

そして、とてもとても気を使わせたように思います

 

今では見かけなくなった「日産ラングレー」

「スカイライン」の妹分的な存在に、どんなに月日がたっても、自己主張の少ないひかえめな彼女の姿が重なります・・・

 

話がかなりそれました

年寄りの戯言(ざれごと)ほど始末が悪いものはありません

 

強引に最後の歌詞へと進みます

機織りながら 暮らしていてか

淡い恋心を告げるでもなく都会へ行き、久しぶりにふる里に帰った時の思いは、いつの時代も同じです

 

P.S.

一途 「いちず」と「いっと」

一途(いちず): ただ一つのことに打ち込んで、他を顧みない様子。ひたむき。

一途(いっと): 1.ひとすじの道。同一の方針 2. ただそればかり。

 

【『柿の木坂の家』を聞きながら】

もし、いつかまた「ラングレー」の彼女に再開することがあれば、「一途(いちず)な気配」は消し去り、自然に接していければと・・・

くれぐれも「悪化の一途(いっと)をたどらないように・・・

 

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