作詞・作曲:伊藤敏博
サヨナラ模様 昭和56年(1981年)
「ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ 抱・い・て・よ」
このフレーズを聞くと、思い出される方もいるかと思います
前半のサヨナラ模様
震えて いるのは 寒いからじゃないの 解って
あなたから 吹いて来る 冷たい 風の せいなの・・・
始まりはあくまでもゆっくりと
暗く・静かに・切々と心情を吐露(とろ)します
風に吹かれて ”サヨナラ”が 枯れ葉の道を
ころがり 消えてゆく
「ころがり、消えていく≪サヨナラ≫の言葉」
この歌詞に、すべての気持ちが込められている気がします
傑作と言われる所以(ゆえん)でしょうか
多くの比喩(ひゆ)を使い、この世界観を表現されています
一つ一つの言葉を、とても丁寧に歌ってくださいます
それはまるで、主人公の哀しい気持ちを「心に刻んで!」
自分には、そう呼びかけらている気がするのです
あまりにも吹く風は冷たく、足取りは重くて、苦しささえ感じてきます
だけど、この息苦しさ・この切なさを表す旋律が、好きでたまりません(わたしはやはり、マゾヒストだったのかも)
ヤマハポピュラーソングコンテスト・グランプリ曲
様々なアーティストを世に送り出したこの大会
リリース前には、冒頭にまだ歌詞がありました
凍り付いた さよならが あなたの唇
ポトリ こぼれ落ちた
ここだけ、「さよなら」がひらがな表記です(こだわっています)
「ポトリ」
それは、静かにそして突然に、訳も分からないままに・・・
当時のレコード容量能力、尺の事情(5分超え)でしょうか(ねぇねぇまでの時間が長すぎると感じたのかもしれません)
とても残念です。
後半のサヨナラ模様
だから・・・
いくつもの「だから」、胸にしまい込みきれません
まるで、「ねぇねぇねぇねぇ」の言葉に集約するかのように、訴え続けるのです
あくまでも、軽やかなテンポで流れていきます(まるで手拍子したくなるほどに)
背中向けないで
しかし現実は、たった一言で別れを告げられてしまいます(こんなことが、許されていいのでしょうか)
何故?、せめて理由を聞かせてほしいのです(当然です)
理不尽(りふじん)という言葉しか出てきません
世の中には不条理なことが多すぎます(ちなみに、人に対しては「理不尽」、「不条理」は社会全体の矛盾などに使われるみたいです。念のため) ”Career-Picksより参照”
「ねぇねぇ、ねぇねぇ、ねぇねぇ、ねぇねぇ・・・」
「背中向けないで~」
何度も繰り返される「ねぇねぇ・・・」
徐々にテンポアップし、絶唱し、最後は、力尽きてしまったかのようにお願いします
”せめて温もりを”
”背中向けないで”・・・
明るいリズムカルな曲調ゆえに、かえって哀しさ・辛さが募(つの)るのでした。
編曲:大村雅朗(まさあき)
この二段編成は、彼のなせる業(わざ)なのでしょうか
松田聖子『SWEET MEMORIES』(曲・編・昭和58年) / 桜田淳子『化粧』(昭和56年)など、数多くの作品に携わっておられます
偉大なる音楽プロデューサーでもあります
素敵な楽器たちが参加しました
聴かせる曲に、楽器の数は必要ありません
始まりは、ギターだけがしんみりと響き、その後ピアノとバイオリン(たぶん)が加わります
そして、木琴(きっと)とマンドリン(自信なし)が、控えめに、あくまでも控えめに寄り添います
「伊藤敏博」さんの高音で透き通るような声に引き寄せられた楽器たち
最初のギターだけのところが好きです
マンドリンの、繊細な音色が好きです
木琴の包まれたような、暖かな音が好きです
この歌には、たくさんの「好き」がつまっていました
シングルとアルバムバージョンがあるみたいですが(どっちがどっちかは分かりません)
私は、この「木琴&マンドリン」バージョンをお勧めいたします。
ユーチューブでのある質問
「サヨナラ模様」のコメント欄にありました
「いい歌って何で別れの唄ばっかりなんですか?」
私は返信してみました
「別れが人を成長させて、感受性を深めるからでは」と少しイキってみました(粋がるの意)
色んな経験をすればこそ
いい歌が別れ唄ばっかりなのではなく、今までよりも、深く理解できるように成長したからこそ、多くの別れ唄が、いい歌と思えてくるのではないでしょうか
私も、別れの唄ばかり聴いています(経験も感受性も深めることもできず、ほとんど成長していないのだけれど…)。
P.S.
青春18きっぷ
伊藤敏博さんは、元国鉄職員だったことは有名です
その関係か「旧名・青春18のびのびきっぷ」のキャンペーンソング『青春18』を歌っています
昭和57年、発売開始です
2410円×5回分=12050円(利用期限付き)(18歳以上の方でもだれでもOK)(基本普通列車)
今でいう「JR版・サブスク」(「サブスクリプション」=「一定額での利用制度」)みたいなものでしょうか
鈍行列車でのんびりと
「鈍行列車」
懐かしい響きです
一般的には、「普通電車」であり「各駅停車」です
しかし世の中、例外というものは数多くあり、「普通電車」が通過する駅もまた、たくさんあるようです
また、快速・急行に対して「緩行」(かんこう)「緩行線」と呼ぶ場合もあり、なかなか興味深いです ”一部ウキペディアより”
普通電車でのんびりしていたら、目的地が「通過駅」だった…
そんな旅もまた一興かと存じます
ゆっくいりと、のんびりと、昭和の歌を道づれに・・・
了
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