それほどヒットした印象はありませんが、「小林幸子」さんが歌った『ふたたびの』という曲がなぜか好きでした
「来生えつこ」さんが詞を提供した曲を調べていたらこの作品が見つかりました
なんだか嬉しくなります
フリーライターだった彼女が、弟の「来生たかお」さんの曲に詞を付けるようになり、プロの作詞家になったことにより才能が一層開花します
「来生たかお」さんは、素敵な曲をたくさん作曲され、素晴らしい歌唱力でコンサートを開かれ、ピアノ演奏も相当の腕前だと言われています
それとは対照的に彼女の活動はあまり表には出てきていません
でも、その多くは光り輝き、誰をもを感嘆させる作品ばかりなのです
『マイ・ラグジュアリー・ナイト』(しばたはつみ/1977年)
切々と熱い言葉をささやきながら、この名セリフが登場します
恋はゲームじゃなく 生きることね
そして最後の最後に、題名部分が出てきます
~My Luxury in the Night~
生活も車もそして歌の詩も「ラグジュアリー」に成ってきつつある時代だったのかもしれません
『シルエット・ロマンス』 (大橋純子/1981年)
この曲のイントロとこの歌詞は忘れることができません
無意識にイヤリング 気づいたらはずしてた
重なりあう シルエット
当時私は二十歳前(しかも超おくて)
理解するにはあまりにも未熟者でした
大人です、大人の魅惑的女性です、立ち入ることのかなわない私の知らない大人の世界なのでした
セカンド・ラブ (中森明菜/1982年)
舗道に伸びた あなたの影を
動かぬように 止めたい
『シルエット・ロマンス』のヒットにより、次のこの曲も大橋純子さん向けに作られていました
それゆえ、音の高低差も大きく、難しい曲調になっています(中森明菜さんも大変だっただろうと、来生たかおさんはのちにおっしゃっています)
そんな状況で「来生えつこ」さんは、当時の彼女にぴったりのこの詩を送りました
せつなさはモノローグ 胸の中
とまどうばかりの 私
前置きが長くなりましたが、やっと私の大好きな作品が登場いたします
Goodbye Day 来生たかお 1982年
作詞:来生えつこ / 作曲:来生たかお / 編曲:松任谷正隆
少しだけ疲れた顔で 君は静かに眠ってる
基本的には曲が先に出来て、後から詩をつけるパターンだそうですが、これは違って詩ができていました
しかも、これまた珍しく男目線です
スタンドの淡い光 そっと睫毛の影が出来る
う~ん、素晴らしいねぇ
アートだねぇ
現実には目に見えていないかもしれない光景を、鮮やかに映し出す言葉の力を感じます
Goodbye Day 今日が終り One more day
また一日 何ごともなく それでいい Oh
この歌が発売されて10年ぐらいがたつ頃でしょうか、友人がカラオケで歌いを初めて知りました
静かにゆらゆらと流れる悲しげな旋律、そしてこの題名
「決してあなたにはこの歌は似合わないでしょう」と心の中で毒づきながら、友の歌を聞くたびにいつも思っていました
内容については深く考えず、「いい歌だなぁ」と
そうは思いつつ、次に自分が歌う曲を探すことで一生懸命です
なんとなく「失った愛を嘆き」「忘れられない自分に語り掛ける」・・・ みたいなイメージをずっと持っていたのでした
「来生えつこ」さんの描いたもの
「倫理的に許されない愛」でもなく、「若さに任せた一途な恋」でもなく「惜別の念に堪えない」場面を描いたわけでもありません
彼女は「何気ない日常の大切さ」を ”また一日 何ごともなく それでいい” というこの言葉で教えてくれました
いま私は、当たり前のように目覚め、当たり前に変わらぬ日々を過ごし、また1日があると当たり前に思っていました
「当たり前」とは、有ることが常
その反対語は、「有難い」(ありがとう)…有ることが難しい
素敵な詩に出会えて有り難う
ありがとう
「来生えつこ」さんのこの詩に対する思いとは少しずれたかもしれませんが、彼女のあらゆる言葉が、これからの私自身を穏やかにしてくれる気がします
Goodbye day ケリをつけて One more day
また一日 新しい日に すればいい
”ケリをつけて”
この一言が入ることで、奥行きが広がります
永遠の愛のはかなさをほのめかしているのでしょうか?
人生のごく浅いところでした生きてこなかった私にはよく分かりません
また一日 おだやかならば それでいい
最後の歌詞になります
今日という穏やかな日にありがとう
素敵な詩に出会えて有り難う
『大切なことはすべて日常の中にある』(やましたひでこ・おのころ心平 共著)という本の中にこんな文章があります
自分を表現する言葉を豊かにすると、自分の存在も豊かになる。
私も『Goodbye Day』を何度も聴いて、少しだけ豊かになった気が・・・
いや、まだまだ浅瀬から抜けられません
「来生たかお」さんの『Goodbye Day』
オリジナル盤(1987年)も完璧に仕上げられていますが、コンサート映像も彼の魅力の一つです
1990年(Nagano)では、白を基調としたシンプルな衣装で誠実さ満載です(この時のアレンジが好きです)(エンディングも最高)(ラストの高音のピアノの響きに注目です)
白髪が目立ち始めています(ロマンスグレーの見本のような方です)
少し崩した感じでタメを増やしてきています(基本的に崩した歌い方は好きではありませんでしたが、彼の歌い方はとても気持ちよかったです)
2020年(札幌公演)
髪はきれいに真っ白です
1950年生まれの彼は、この時ちょうど70歳です
そしてこのパフォーマンスです
「キーが下がった」とか言われている人がいますが、とても魅力的な歌唱で私にはわかりませんでした
作詞作曲で「来生姉弟」としてよく取りざたされますが、やはり彼は本物の歌い手です
ワインは、熟成が進むほどに味が変化し、角がとれてまるくなり、繊細で複雑な余韻が味わえます
「来生たかお」さんのこれまでの動画を見ていると、当たり年のブドウで造られた貴重なヴィンテージワインそのもののような気がします(ちなみに私は「のどごし生」専門で、ワインの味はわかりません)
今現在、多くの昭和のスターたちがなお現役で活躍されていますが、心からコンサートへ行きたいと思う、数少いアーティストなのでした。
P.S.
編集手帳(読売新聞)
今朝の新聞にこんな言葉が紹介されていたので、追記します
【在りの遊び】
「ありのすさび」と読むらしいです
「あるにまかせて、特に気にせずにいること」いう意味みたいです
〈ある時は ありのすさびに語らはで 恋しきものと 別れてぞ知る〉
という和歌と一緒に紹介されていました
”一緒にいるときは語らいもしないで、いとしい人だ別れてからしるのだ”・・・と
ここからが凄いです
「編集手帳」の編集者には、いつも感心させられます
この和歌とサクマ式ドロップを見事に合流させるのです
佐久間製菓が、来年1月に廃業するというニュースに、幼き頃に何が出るかわくわくしながら缶を振った思い出をきれいに編み込みながら…
最後にこう結ばれています
”在りの遊びの非礼をわびつつ、買いに出たくなる”
ひょっとしたら、「来生えつこ」さんもそんな「ありのすさび」な心境を思い描いていたのかもしれません
(余談ながら、私はハッカ味のドロップが苦手で、出てきたらそっと戻していました
筆者以上にお詫び申し上げねばなりません)
そして、もう一言
巨人軍(読売)ファンは卒業しましたが、この「編集手帳」はずっと応援し続けたいと思っています。
* 2022/11/11追記
了
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