名作・名曲・名脚本のドラマ「北の国から」を私は見たことがありません
日本を愛する者として、北の大地を愛する者として許されることではないでしょう
テレビ大好き・ドラマ好き、自然が大好きだったはずなのに、あの頃いったい何が・・・
北の国から サウンドトラック
『北の国から~遙かなる大地より~螢のテーマ』
作曲・編曲・スキャット:さだまさし
まずはこの作品ができた経緯から
倉本聰:「まさしが音楽やって!」
さだまさし:「北海道には地元出身のシンガーがいるだろう?」
倉本:「そんな事は関係ない」
そして問答の末、さだはやっと了承後、倉本:「すぐ作って!」
さだは即興で「♪ああーあああああーあ(語尾を下げる)」
倉本:「それいいね。で、その続きは?」
さだ:「♪ああーあああああー(語尾を上げる)」
倉本:「続けて」
さだ:「♪んんーんんんんんーん、んんん、んんんんんー」
倉本:「いいね。これでいこう」と即決定 (ウィキペディアより抜粋・修正あり)
稀代の天才二人は運命的に出会い、約束されていたかのように日本中に感動の嵐を巻き起こしました(のようです)(風の噂で、なんとなくその後知りました)
誰もが認めるこの素敵な旋律です
メロディーもいいけど、歌詞が最高だね (YouTubeコメントより)
素敵な表現だと思いました
自分も早く実感してみたいです
ドラマの場面場面とオーバーラップすれば、なおさらでしょう
「田中邦衛」さんとその後男優として有名になった男の子の演技も気になるところです
しかしドラマを観ていない私には、この曲を聞く権利はまだ貰(もら)っていない気がします
老後の楽しみは決まっています
DVDを買いそろえ、古き良き昭和のドラマをじっくり大型テレビで鑑賞します
オープニングやエンディングに昭和の名曲が流れてくれればもう何も言うことはありません
それまではこの曲を享受するのも、じっと我慢の子です(ボンカレーを待つ大五郎のように…ちょっと古いです)(仁鶴さんの浪人姿が懐かしく思い出されます)
この作品には、ほかに挿入曲として「パンフルート」が使われていたみたいです
この楽器こそが、私を『北の国から』から遠ざけていたのでした
正確には、この音を素敵に奏でる主題曲を使ったもう一つのテレビドラマが、裏番組で放送されていたのです
大切な宝物のように、今でもずっと私の中で光輝いてる作品です
想い出づくり 1981年(昭和56年)
前回のブログで少しふれました
山崎ハコ 『織江の唄』 呪いを込めて藁人形に釘を刺すような女性ではありませんでした
このオープニング曲を聴いていたら、いろんな思いが募(つの)り、引き続きその内容に触れたくなりました
脚本は「山田太一」さん、主演は「古手川祐子」さん「田中裕子」さん「森昌子」さんの3人
「田中裕子」という名前を意識し、好きになったのもこの頃からかもしれません
奇(く)しくも名脚本家が相対します
「倉本聰」VS「山田太一」
二人のお名前がテロップに流れるだけで安心です
音楽は、さだまさしさんの「ハミング」 VS ザンフィルの「パンフルート」
偶然にも、どちらも歌詞はありません
言葉がないからこそ、想像をめぐらし想い出を一層深めていくのかもしれません
平均視聴率15.2%(ビデオリサーチ 関東地区)。裏番組はフジテレビの連続ドラマ『北の国から』(1981年10月9日 – 1982年3月26日放送)だったが、当時は後者の知名度は低く、視聴率では本番組が終始リードしていた。 (ウィキペディア)
とても意外であり、嬉しくもありました
当時は「ドラマのTBS 」 と言われていて、勢いがありました(この作品も「金曜ドラマ」枠です)
我が家が選んだのは、『北の国から』ではなく『想い出づくり』
姉のチョイスだったと思いますが、一緒にみていた私も、どうしても贔屓目(ひいきめ)な感想となりますのでご了承ください
やっと本題に移ります
オープニング曲(ザンフィル / パンフルート)
ハープとギターに誘われながら、「パンフルート」という楽器と初めて出会いました
第一幕は、スローなダンスでも踊っているみたいな、縁側で陽だまりを浴びているような、そして少しの愁(うれ)いを帯びているような音色です
思い悩む若き女性のその綺麗な横顔に、不謹慎にもうっとりしそうです(想像の世界です)
第二幕は予想外の低い音が心を揺らします
そこに訪れたのは、明らかなる愁い、失望や哀しみに包まれた後ろ姿です
しかし涙や嗚咽(おえつ)の表情はうかがえません
あくまでも、静かに遠くを見つめている…ように私には見えました(いわゆる幻覚です)
そして第三幕
主役の三人が一斉に登場する感じで、場内にひときわ明かりが差してくるのです(まだ幻覚は見えているようです)
このアップテンポなリズムに、希望と勇気が湧いてくるのです
まだまだ男社会が当たり前だったこの時代、女性の社会進出を後押しするかのように「パンフルート」はこの主旋律を奏で続けます
最終章
最後は綺麗にまとめられて、とても心地よく幕は閉じていきます
「パンフルート」は語りかけます
「主役は私ではありませんよ」
「このドラマを十分にお楽しみください」
私はそのように受け取りました(幻聴も聞こえてくるほどの名作なのでした)
エンディング曲(ザンフィル / 小室等)
もの悲しさここに極めり
他に言葉が見当たりません
たまにコメントなどで、曲の素晴らしさのあまり、自分の葬式にはこの曲を流してほしいという内容をたまに見かけます
人より、生存願望が強い私は死後の世界を考えることは怖くて仕方ありません
しかし、この曲に出合い、ほんの少しだけ気持ちが楽になった気がします
わが家族の皆さん、もしこのブログを読むことがあったらよろしくお願いいたします。
P.S.
女優・田中裕子
このエンディング曲は、挿入曲としてよく使われています
そして、田中裕子さんの名演技を引き立てているのです
特に印象的なのは、『想い出づくり』第7話「夜の道ではなく─。」
古手川祐子さんは会社を辞め、ちょいワルな彼(柴田恭兵)と暮らしことについて、二人(田中裕子・森昌子)にその決意を語るシーンです
古手川:「なんてゆうのかなぁ、私の決まりきった生活ゆうのか…そうゆうのを揺さぶられるところがあるんだよね」
森: 「だけど…」
古手川:「もちろんそれがいいって言ってるんじゃないわ、この日と悪いところもいっぱいあるわ… でも可愛いし…」
森: 「悪ふざけが可愛いとは思えないわ!」
・・・・
二人のやり取りはこの後もずっと続きますが、田中裕子さんのセリフはありません
彼女は、しぐさで「怒り」・「驚き」・「思いやり」そして切なげに二人を見つめています
そして、田中裕子さんのセリフが始まるとともに、パンフルートのBGMが加わるのです
健さん(高倉健)が背中で演技されていたように、彼女にも多くのセリフは必要ないのかもしれません
このドラマは、素晴らしいところがたくさんありましたが、女優「田中裕子」さんを見つめているだけでも、芸術的感性を豊かにしてくれる気がするのでした。
(2021/6/17・追記)
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P.S.part2
三猿(さんざる、さんえん)
映画やドラマの事前に襲ってくる番宣(番組宣伝)には困っています
結構大事な部分を知ってしまう悲しさ、辛さ、残念無念の心境なのです
結果的にはこの番宣でよりヒットするのでしょうから、致し方ありません
以下は年寄りのたわごととして、ご勘弁願います
【見ざる・聞かざる・言わざる】
映画やドラマ制作の関係者の皆様、どうかこの言葉を今一度思い起こして欲しいのです
タイなどの一部の地域では、いわば四猿なる伝承が伝えられているようです
この猿は手で股間を隠した姿をとり、「せざる」、即ち性的な不道徳を戒めるものとされる(ウィキペディアより)
五十をとうに過ぎても、些細なことに迷うばかりの私ですので、肝に銘じたいと思います
子曰わく、吾 十有五にして学に志す。
三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。
「論語」(孔子)より
「耳順う」とは、修行がますます進み、他人の言葉を自然に受け入れることができるようになるとのこと
「のり」(規定・規範)を超えてばかりの私ですが、人の意見に素直に耳を傾けることができたならと思います
番宣には耳を塞(ふさ)ぎつつ、せめて家族の言葉には「耳順う」(努力)をしようと思います
あくまでも努力ですが…
目の前の社会風潮に流さたり、一時の周囲の事情に縛られたりして、自分の本領でもない方面へ、うかうかと乗り出してしまうものが多い。
これでは「志」を立てたとはいえない。(論語と算盤)
『論語』を愛読されていた「 渋沢栄一」さんが『論語と算盤』を書いてから100年の時間が経過するらしいです
人からよく一言多いと言われています
何につけ、知ったかぶりでうかうかと乗り出してばかりの私です
「見ざる・聞かざる・言わざる」
思っていた以上に深い言葉なのかもしれません。
了
森昌子 『なみだの桟橋 』『越冬つばめ』 ものまねの「せんせい」はカバー曲も完璧でした
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