小学男子たちもこぞってふりまねをしていた「パッ・パッ・パヤッ・パッ」
「山口百恵」「桜田淳子」「浅田美代子」「あべ静江」「石川さゆり」「フィンガー5」「キャンディーズ」・・・
この年、多くのアイドルたちがデビューしています(石川さゆりさんも、白い帽子をかぶった可愛いアイドル歌手でした)
そんな中、小5だったの私は、この歌に妙に引き付けられていたことを、今でもはっきりと覚えているのです
おくての私が、スリットの入った魅惑的なドレスに、いわゆる大人の世界に目覚め初めていたとは思えません
独特な振り付けや見た目のインパクトだけではない、この歌の魅力とはいったい何だったのだでしょう・・・
他人の関係 1973年(昭和48年)
始まりの歌詞の前に、この歌にはとても大切なイントロ部分があります
言わずと知れた「パッ・パッ・パヤッ・パッ」です
肘と手首を曲げ、横向きから正面へとタイミングよく振り向きます
少し若い方は「一青窈」さんの映像でご存じの方もおられるでしょう
初めてこの映像を見た時には、金井さんと比べ、少しひじの角度がゆるいなぁと感じました
しかしそれも無理のないこと、後年の「金井克子」さんの振りとそっくりだと気付くのです
私的には、往年のあの角度(95~100
「パッ・パッ・パヤッ・パッ」・・・
4回繰り返した後に感動の旋律へと転調します
「チュッ・チュッ・チュルッ・チュッ」
この音の上り具合がとてもいいんです
イントロ・間奏・エンディングにと、三度にも及ぶ至福のひと時を味わえます
私にとってこの『他人の関係』はこのコーラス部分も他人事などではなく、とても「密接な関係」なのでした
作詞:有馬三恵子 作曲・編曲:川口真
逢うときには いつでも 他人の二人
ゆうべはゆうべ そして 今夜は今夜
ここからの歌詞の内容についての感想は、ある程度の年齢及び相当なる経験が必要です
そちらのほうは、ほぼほぼ無経験で生きてきた私には、誠に残念ですが割愛(かつあい)させていただきます
マラカスの音が好きです
かすかにかすれた無機質な声、突き放すような歌い方を愛します
そして、能面のような冷ややかな表情に惹かれるのです
「金井克子」さんは大人の歌が似合いすぎるのです
当時の怒涛の如く押し寄せるアイドル歌謡の波を、か細い体で一心に受け止めていたのかもしれません
川口真の世界
くすぐるような 指で ほくろの数も
一から数え 直して
ここから奇跡の旋律、日本人の魂を揺さぶろような音の流れは、「川口真」さんの、それこそ昭和歌謡の最高傑作だと確信します
彼の作曲者としての偉大さは以下の作品が物語っています
「人形の家」「積木の部屋」「片想い」「手紙」「弟よ」「浮世絵の街」・・・(私の生涯大好き曲ベスト10の中に、6~7曲は彼の作品が入っている気がします)
編曲においても
「つぐない」「京都の恋」「雨の御堂筋」「哀しみの黒い瞳」「いい日旅立ち」・・・
才能の宝庫から、貴重な芸術品が溢れ出てくる感じです
「川口真」さんなしに、私の中で昭和の名曲は始まりません
そうよ はじめての 顔で おたがいに
またも 燃えるの
恋愛上級者の世界感とも言えそうな歌詞は、この後4番までありました
作詞者「有馬三恵子」さんは一字一句に気持ちを込め、手を抜くことなど一切ありません
その頃、意味も分からず歌っていた我ら小学生たちです
平和といえば平和であり、幸せな時代と言われればそうとも思え、ノー天気といえば確かにそうで、アホな小学生でした
当時の大人たちは、情けない思いで、さぞかし冷ややかに眺めていたのでしょう
私 何度でも きっと引きもどす
もどして みせる
最後の歌詞に、秘めた「女の情念」みたいなものをのぞかせます
表情一つ変えず、さらりと告げるこの言葉です
今でもこの歌詞を聞いて、背筋に冷たいものを感じる男性たちもいるのかもしれません
『他人の関係』などと割り切るほど、たやすくはい生きていけないのも、また世の常なのかもしれません
「パッ・パッ・パヤッ・パッ」「パッ・パッ・パヤッ・パッ」
「パッ・パッ・パヤッ・パッ」「パッ・パッ・パヤッ・パッ」
「チュッ・チュッ・チュルッ・チュッ」「チュッ・チュッ・チュルッ・チュッ」
「パッ・パッ・パヤッ・パッ」「パッ・パッ・パヤッ・パッ」・・・・・・・・
それぞれの男女の思いをよそに、昭和の夜は名曲とともに静かに更けていくのでした。
ハナミズキ
「一青窈」(ひととよう)さんが『他人の関係』をリメイクして下さっていたことを最近知りました
再びスポットが当ったことに嬉しさを感じます
姓の「一青」(ひとと)はお母様の出身地である石川県に地名としても存在するみたいです(てっきり外国姓とばかり思っていました)
また作詞家としてもたくさんの作品を残され、高評価を受けられているなど、何も知らない私は驚くことばかりです
ちなみに、座右の銘は「来る者拒(こば)まず、去る者追わず」(全くもって同感です)
そんな私ですから名前の読み方もよくわからず、「ハナミズキ」ぐらいしか知れません(それも最初と最後を少しだけです)
この「題名」を聞くたびに思い出すことがあります
庭の端に植わっているこの木は、長男誕生の年(23年前)に、記念樹として市から頂いたものです
2年ほど前にこの木が「ハナミズキ」という名前だと知りました
翌年次男が生まれ、また植木を頂きました
ある冬に、大きくなりすぎたこの木の枝が塀の外までおおい茂り、バッサバッサと気持ちいいほど勢いよく切り落としたのです
後悔先に立たず・・・
昔の人はよく言ったものです
そうです、あれから春になっても一向に葉っぱの一つも出てきません
この時はまだ「やっちゃった」ぐらいに軽く考えていました
ところが、意外と繊細な次男(22才)
思っていた以上に、かなり悲しんでいるのです
気づかっているのがよく分かり、「別にいいけど…」と残念そうに眺めている視線が、結構こたえます
そんなことを知ってか知らずか、長男は「結婚して家を出ていくときはこの木を持っていく」と弟の前で堂々と宣言してくれました(あなたも意外と思い入れがあったのね…)(長男に罪などありません、すべて私が悪いのです)
「ハナミズキ」が咲く季節になると、少し憂鬱(ゆううつ)になる情けない父親なのでした
余談ですが、少し年の離れた末娘は、自分の木などあまり興味がないようです(少しだけほっとしています)
でも少しだけ気になったので、先ほど彼女に聞いてみました
私: 〇〇〇、市からもらった木覚えている?
○○○: うん 枯れた?
私: いや、もし枯れたら困る?
○○○: 別に… その木ってあの辺のどれかよなぁ・・・
この子は、私の想像を裏切ることなく、生きているようです
了
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