「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(ポプコン)で世に出た「小坂明子」さん
とは別の方です
『あなた』が大ヒットしていた翌年、同じポプコン出身の「小坂恭子」さんがデビューしました(グランプリ曲・恋のささやき)(この翌年は「八神純子」さんと続きます)(ポプコン恐るべし)
想い出まくら 昭和50年(1975年)
誰が云ったのか分かりませんが、「イントロにサビを使った曲はどれも素晴らしい」と
この『想い出まくら』も「加藤登紀子」さんの『この空を飛べたら』も編曲者「福井峻」さんのイントロは、秀逸(しゅういつ)です
まさに最高の食前酒として振る舞われています
作詞・作曲:小坂恭子 編曲:福井峻
こんな日は あの人の 真似をして
けむたそうな 顔をして 煙草をすうわ
なぜだか「桃井かおり」さんが、髪をかき上げながら、けだるそうにタバコを吸っている姿を思い出しました(眼を細め、片膝立てながら…)
そういえば いたずらに 煙草をすうと
やめろよと 取り上げて くれたっけ
この頃のタバコは、歌の世界でも人気のツールであり、ファッション的にも必須アイテムでした(いつもはマイルドセブン(180円)を吸っていても、ここ一番は誰もがラーク(280円)を奮発したものです)
なぜか、優しかった頃の想い出しか浮かばないのが、素敵でもあり哀しくもあります
ねぇ あなた ここに来て 楽しかった事なんか 話してよ 話してよ
改めて聴き直していると、気づいたことがありました
①:切れ切れの言葉のおわりの伸ばし方、特に「話して~よ~~」のビブラートがとても綺麗で心地よいのです
②:バラード風に切々と訴える歌詞に対して、思っていた以上にテンポよくリズムを刻んでいたこと(ギターのリズムが新鮮なのです)
③:「こんな日」がたくさん使われていますが、いったいどんな日?(具体的に何も示されていません)
彼女にとって「こんな日」とは、昨日も・今日も・明日も、ずっと「こんな日」なのかもしれません
そして、聴いているこちらに「あなた方にも《こんな日》ってなかったですか?」って問われているのかもしれません(悲しいことに、限りなく浅い人生を歩んできた私には、そんな日はありませんでしたけれど…)
ゆらゆらと 酔ったら うでに抱かれて
髪なんか なでられて 眠りたい
ひとりぼっちでお酒を飲みながら、片時も忘れられない相手への気持ちを、素直にうちあけています
このあたりまでくると(2番のサビ前)、「もう十分わかったので、お願いです、ゆっくりと休んでください」
そう願うばかりです
そして、この後もリフレインのように続く ”ねぇあなたここに来て” と甘く哀しく囁(ささや)く歌詞が耳から離れないのでした
こんな日は あの人の 想い出まくら
眠りましょ 眠りましょ 今夜も一人
(最後のくり返しは ”眠るのが 眠るのが いいでしょう” )
「想い出まくら」という言葉が最後に出てきました
忘れたいけど、忘れたくない
彼女は、自分に何度も何度も「眠ること」を言いきかせるのです
「眠ること」それこそが「忘れる」ことへの近道でもあるかのように
分かってはいるのだけれど・・・
好きな人を忘れるためには、その人に関係しているあらゆる物を捨ててしまうのも、一つの方法なのかもしれません
しかし、一つ一つを思い出し、これほどまでに想い出に浸(ひた)り続ける彼女が、いとおしくて仕方ありません
たとえ、歌の世界だけの幻想だったとしても、昭和のおじさんには、貴重なひと時であり、とても「大切な想い」だと信じたいのでした。
P.S.
いつ頃の映像でしょうか?
ユーチューブ動画に「小坂恭子」さんの弾き語りバージョンがアップされていました
お姿から、少し年月が経ったかな?って感じはしましたが、ピアノ演奏・歌唱力とも完璧です
彼女は、知らない間に進化し続けておられていたのです
進化論
進化論というとチャールズ・ダーウィン(1809~1882)が有名です
現在「進化」のことを英語で「エボリューション(evolution)」です(三菱ランエボのエボです)(ランサーエボリューションⅢが特に好きでした / キャッチコピーは、”進化は止まらない”)
今でも、一般的には、進化=進歩とみなされています
しかしそう考えない人もいました
ダーウィンは「世代を超えて伝わる変化」という考え方しかしておらず、この言葉には進歩という意味はありません(「更科 功」著書を参考)
ダーウィンが言うように、進化=進歩ではないとすると、「生物の中でヒトが最上位」という考え方も、ただのおごりなのかもしれません
話は戻って「小坂恭子」さんの弾き語りバージョン
これまでに聴いた『想い出まくら』の中で「最上位」だと考えたのは、決しておごりなんかではない気がします
そしてそこには、この演奏に ”ゆらゆらと酔った” 私がいました(進化も変化も出来ず、少しづつ劣化しています)
当然、誰も ”髪なんか” 撫(な)でてくれませんし、撫でてもらえるほどの髪もありません
了
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コメント
仏教に枕教と言うのがある。おもいでまくらに登場するあなたは、亡き人である。
今一度読み返すと、確かにそんな気が致します。
解説、ありがとうございました。