生まれたてのヒナが、最初に目にしたものを親だと誤って認識するように、私にとっての『卒業写真』は「荒井由実」さんでした
1970年代のフォークやニューミュージックを実体験として触れてこなかった私は、後年まで「荒井由実」さんこそ親そのものなのです
「ハイ・ファイ・セット」の歌う『卒業写真』は、どこか継母的な距離感を感じていたのでした
「ハイ・ファイ・セット」VS「荒井由実」
このたび、何度も「ハイ・ファイ・セット」(歌作)を聴いていると、少しだけこの作品のイメージが変わっていきました
(ここからは「荒井由実/卒業写真」=「自作」 「ハイ・ファイ・セット/卒業写真」=「歌作」と表記したいと思います)
「自作」はアレンジを含め、ぎっしりと郷愁の詰まったソリッド的要素を感じます
斬新かつ音楽的な重厚感があり、あのセンスの塊のような表現力にいつも心酔します
「自作」を聞くたびにいつも感動していますが、涙が自然ににじんだのはなぜか「歌作」のほうなのでした
『卒業写真』(歌作)
作詞・作曲:荒井由実 編曲:服部克久/コーラスアレンジ:岡崎広志
イントロの特徴あるホルンの音色は、やすらぎと希望にあふれているようにも感じてしまいます
そして「山本潤子」さんのあの、世界的にも名高いお声が優しく流れ、柔らかく包み込んでくれるのでした
話し かける ように ゆれる 柳の 下を
はじめて聞いた時の違和感はこの「柳~の」のところに代表されます
「芸術的な亜種(自作)」VS「純正的な正当(歌作)」?
言いたいことがうまく伝えられませんが、この2作品は全く別物なのです
「自作」のこの部分一つとっても、荒井由実さんは音符の世界にとらわれることなく、誰にも創造のつかない特殊な芸術性を発揮しています
一般人が理解できない「ピカソ」の領域にいかれた方なのでしょう
「ハイ・ファイ・セット」の歌う譜面通りの安心感は、卒業後の回想録としてのぬくもりを鮮やかに蘇らせてくれるのでした
コーラスアレンジ
オリジナル盤において「山本潤子さんメイン」の構成は当然で、誰しも依存はありません
彼女の声は私の中にしみわたり、それは「育ての親」が聖母マリアになった瞬間だったかもしれません
この安らぎこそが、涙腺を刺激する原因だったのでしょうか
男性コーラスについては、間奏以外では全体的に控えめです
こちらのお二人にも感謝を伝えたく、またはっきりとしたお声を聴きたくて、他のライブ動画を探してみました
・「大川茂」様(たぶんですが…):「高倉健」さんを彷彿とさせるような太い眉は昭和の男です
ブルーのYシャツのボタンは一番上まできっちりと止めます
・「山本俊彦」様(こちらもたぶん):オレンジのジャケットにまだら模様のシャツをオシャレに着こなします
ひげをたくわえることでファッション性はさらにアップし、ふと「さとう宗幸」さんの影がちらついてしまいました
地に足のついたお二人のコーラスをライブ音源で聴くことにより、心地よい「安定感」を感じた原因が分かった気がします
「ハイ・ファイ」が丁寧に「セット」されています
Hi-Fi(ハイファイ)とは高度な再現性を意味し、再生する場合に発生するノイズやひずみを最小限に抑えるこをいいます
そして「名は体を表す」ともいいます
「荒井由実」さんの世界観を高度に再現してくださり、心より感謝いたします
また『卒業写真』においては、主人公の女性の「心のノイズやひずみ」を優しいお声で和らげて頂いたような気がするのは私だけでしょうか・・・
『卒業写真』(自作)
あなたは ときどき 遠くで 叱って
それはかなわない願いだとわかっています
だからこそ、自分自身に強く言い聞かせます
「自作」が、言葉にできない焦りや不安をより感じるのは、前衛的なアレンジにより増幅されているのかもしれません
あと、あのどこから聞こえてきているのかわからないような、特徴あるあのお声も大きく影響しているのでしょう
「変わりたくない自分」と「仕方なく流されていく自分」
そんな葛藤を、この歌は「彼」に投影しつつ自分に問いかけ続けるのでした
作詞力も半端ない「荒井由実」さんは、アルバム『ひこうき雲』からわずか3枚目『COBALT HOUR』で、ピカソをはるかに超えたアートの世界を展開していくのでした
哀愁の歌謡曲 昭和のCD全10巻 18曲
『秋桜』で始まりラスト18曲目は『卒業写真』で終わります
1970年代後半における素晴らしい選曲及び作品に感謝いたします
蛇足
来年の冬が来る前に一言付け加えます
ブルーな初恋を思うとき、月のあかりに卒業写真を開いてみてはいかがでしょうか?
たとえそれが、時代おくれと言われようとも・・・
了
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