昭和49年(1974年)発売の『襟裳岬』/ 吉田拓郎作曲作品あたりから、幅広いジャンルに挑戦されてます
森進一さんは、言ってます
「演歌の枠にとらわれず、いい音楽であれば耳を傾け、自分の世界に取り込みたい」と(ウィキペディアより)
そんな流れの中の『東京物語』
作曲家「川口真」さんは初めて森さんに曲を提供しました(演歌歌手には基本提供していません)
新たなジャンルに、こうご期待ください
東京物語 昭和52年(1977年)
作詞:阿久悠 作曲:川口真 編曲:馬飼野康二
馬飼野さんの編曲です
過去に何度も言いましたが、イントロから間違いありません(ホレボレします)
阿久悠マジック
今日からは 赤い爪 あなたに 見せない
すき透(とお)る 桜貝 あなたの 好きな色
始まりの歌詞から、心を奪われます(この言葉だけで、この女性を好きになりそうです)
はい、私もマニキュアの色は、断然「桜色派」(これを言うといつも妻から、偏見の塊のように、ののしられます)(怒られて当然です、偏見です)(ちなみに妻は、赤か、ショッキングピンクが好きです)
かくして、阿久悠さんの思惑(おもわく)通り『東京物語』にずっぽりとはまってしまう私でした(わずか最初の2行で)(阿久マジックおそるべし!なのです)
一日に二本だけ 煙草を吸わせて 珈琲(コーヒー)の昼下がり あなたを待つ夜ふけ
このように、続けて言われるたら、もうダメです
冷静に立っている自信がありません(ノックダウン寸前のボクサーです)(誰か早くゴングを鳴らして下さい、状態です)
何もまだ約束は したわけじゃないが 春まではこのままで くらしていましょうね
試合終了です(完全にノックダウンです)(何と戦っていたのか、わけが分かりません)
「いじらしい」という修飾語は、この女性に使うために出来たのでしょう
強烈なボディーへの一発が、軟弱なお腹に突き刺ささりました(ゴングは鳴り終わっても、しばらくは立ち上げれません)
ただしこのボディーブローは、少しの痛みも感じることなく、ただひたすらにゆらゆらと心地よいのですが・・・
川口真
『浮世絵の街』(内田あかり)・『片思い』(中尾ミエ))・『落ち葉が雪に』/ 編曲(布施明)
などなど、哀愁を帯びた作品をたくさん作られています(各作品の始まりの旋律を思い出しただけで、心が洗われます)
そしてなんと偶然にも、以前のブログ記事で扱った作品ばかりではありませんか(かなり、しらじらしい展開になりました)(実は、「内部リンク」というやつに初めて挑戦しようと考えているのです)
とにかく、昭和44年『人形の家』(弘田三枝子)で作曲家デビューした彼は、私の好みのど真ん中をいつも突いてくるのです(編曲家としても尊敬しています)(「内部リンク」の事情で、名曲『手紙』をあえて挙げていません)(謹んでお詫び申し上げます)
森進一
昭和59年、大原麗子さんと離婚(お互い、少し愛して、長~く愛することが出来なかったのか)後、社会福祉法人「じゃがいもの会」を設立します
昭和60年(1985年)、飛行機事故に遭われた「坂本九」さん
森進一さんは、その10日後「夜のヒットスタジオDELUXE」で、追悼の意を込め、オリジナル曲を急きょ取りやめ「見上げてごらん夜の星を」を披露しました(ウィキペディア)
全盛期の「森昌子」(歌う力は日本の宝でした)さんを、結婚という名のもとで失った私にとって、森さんに逆恨みしていた面がありました
しかし、離婚についてはお互いの責任ですし、彼の考え方、行動を知るにつれ、魅力的な人に思えてきます(何よりも素晴らしい昭和の名曲がたくさんあるのです)
「森進一」さんを好きになっている自分がいるのです
これからも、ジャンルのこだわらない、本物の歌い手であり続けて下さい。
P.S.
しおらしさ
本文中で「いじらしい」という言葉を使いました
古語では「しをらし」という言いまわしがあります
意味としましては
・優雅、奥ゆかしい
・控えめ、可憐(かれん)
・殊勝、けなげ
などと、幅広く用いられてきた言葉です ”ハッピーライフ参照”
歳を重ねるほどに、惹かれてやまない言葉です(「ないものねだり」なんてことは決してありません)
語源は
「萎(しお)れる」から派生したようで、草木がしなったり、なえたりするさまから ”由来・語源辞典より”
妻の手厳しい忠告や叱咤(激励?)に、すぐになえてしまう私です
本来の意味を考えれば、意外と「しおらしい男」だったのかもしれません(エッヘン!)
了
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