冠二郎 『旅の終りに』 旅の終わりに小さな夢を見つけます

作詞:立原岬 作曲:菊池俊輔

旅の終りに 昭和52年

 

五木寛之の世界

 

立原岬は、文豪・五木寛之さん

 

 

希望も恋も 忘れた俺の 肩に冷たい 夜の雨

 

”忘れた”という言葉のセンス

詩人だねぇ~、演歌だねぇ~、流れ流れて釧路だねぇ~

 

 

春にそむいて 世間にすねて ひとり行くのも 男のこころ

誰にわかって ほしくはないが なぜかさみしい 秋もある

 

昭和の演歌は、ドラマ性に富み、3番まであるのが魅力の一つです

私が特に好きな2番の歌詞を紹介しました

 

”誰にわかってほしくはないが・・・”

いい詩だねぇ~、いい響きだねぇ~、男だねぇ~

 

 

旅の終りに みつけた夢は 北の港の 小さな酒場

 

よかったねぇ~、夢をみつけたねぇ~、いい男歌だったねぇ~

 

菊池俊輔 偉大なる音楽家

 

調べてみるとこれまたびっくりでした

ありとあらゆるところに、かかわっておられるのです

 

音楽部門に欠かせぬ重鎮

 

テレビドラマ(キイハンター、Gメン)・映画(ガメラ、ドラえもん)・アニメ(アラレちゃん、ドラゴンボール)・特撮(仮面ライダー、ウルトラマン)etc(ウキペディアから情報が、無限の如く現れます)(ざっと目を通すだけで、1時間かかりました)(少し盛りました)

 

タイガーマスク

 

何より嬉しいのが、「タイガーマスク」(エンディングテーマ曲)です

初めて買ったレコードです(ドリフのピンク色したソノシートはありましが)(2枚目はなぜか、殿様キングス「なみだの操」、たぶん親父が買ってきました)

 

誰もが認める、日本歌謡界における、バラードの傑作「みなしごのバラード」

歌うは「新田洋」、のちの敏いとうとハッピー&ブルー・リードボーカル「森本英世」様でした

菊池俊輔先生の曲でしたか

タイガーマスク伊達直人)」と冠二郎さんが結びつきます

そして、「伊達直人」さん、たくさんのランドセルをありがとうございました

 

仮面ライダー

 

もう一つ、忘れてならないのが、主題歌『レッツゴー!!ライダーキック』

 

迫るショッカー 地獄の軍団・・・

 

この歌と変身ポーズとライダーキックは、当時の少年の鉄板中の鉄板です

子門真人(発売当時は藤浩一)さんの声とともに、永遠に不滅です

そしてなぜか、ショッカーの人たちも憎めませんでした

 

冠二郎

 

23歳でデビューしたものの、10年間は鳴かず飛ばず  ”朝日新聞より参照”

 

黄金時代

 

全国3000軒のスナックや飲み屋を回り、自らレコードを売り歩きました

ギャラはほとんどないキャバレー歌手として働きながら、10年間耐え続けます

そして『旅の終りに』の大ヒット(昭和52年)

 

誰しも、成功すると人間変わってしまいがちですが、彼は違います

地獄のような下積み生活を「黄金時代」と呼んでいます

あの頃があればこそと、どこまでも謙虚なのです

この後も、2度目の黄金時代がやってきますが、平成4年ふたたび脚光を浴びるのでした(10年あとのまた15年、芸能界はきびしいです)

 

頑張ってよく耐えたねぇ~、『炎』が売れたらしいねぇ~、お相手のお嫁さんは31歳年下らしいねぇ~、メチャクチャ羨(うらや)ましいねぇ~

(「男だねぇ」が言いたくて、ここまで引っ張ってしまいましたことを、お詫びいたします)

 

男、冠二郎様、これからもご活躍をお祈りいたします(お若い奥様をお大事になさってください)(まだ妬(や)いています)

そして、「黄金時代」が訪れませんように・・・

 

P.S. 青春の門

 

炭鉱の町で育った主人公「伊吹伸介」と幼なじみ「牧織江」

 

「青春の門」は私のバーチャル的「青春」そのもの

 

高校までは一切読書などしなかった私に、本の楽しさを教えてくれたのが「青春の門」/五木寛之です

第1部「筑豊編」(文庫上・下)に始まり第6部まで、一気に読破しました(時間も有り余っていました)

 

 

信ちゃん 信介しゃん うちは あんたに逢いとうて

 

織江にあこがれ、「信介しゃん」の呼び方に、私のすべてを持っていかれました(当然、大学にも通わず、引きこもり状態です)(文庫本が、本棚をすごい勢いで占拠すると共に、怠惰(たいだ)な生活に占領されていくのです)

徐々に見えてくるのは、悲しくも「中退」の漢字2文字です

 

香春岳 バスの窓から中学の 屋根も涙で ぼやけとる

             『織江の唄』 作詞:五木寛之 歌・作曲:山崎ハコ

 

貧しい暮らしの織江は、バスに乗って、小倉の夜の街へ働きに行かざるを得ません

 

故郷へ帰る電車の窓から、幼き日に登った日差山(ひさしやま)がみえました

自堕落(じだらく)で愚かな私も、情けなさのあまり、涙でぼやけていたかもしれません

そして、大事に育ててくれた両親の悲しみは、それ以上の大きさだったことは、間違いありません

もう一度書きます

 

春にそむいて 世間にすねて・・・

誰にわかって ほしくはないが

 

誰にも分からない、どうしようもない話でした

 

「懺悔(ざんげ)のコーナー」のようにもなり、申し訳ありませんでした

両親ともまだ健在なので、「昭和の名曲」を選りすぐり、プレゼントしたいと考えています

 

昭和の名曲 宮史郎とぴんからトリオ 女のねがい 

 

P.S.2

 

最後にもう1曲

 

『ざんげの値打ちもない』 / 北原ミレイ

 

最後の歌詞です

 

ざんげの値打ちもないけれど 私は話して みたかった

 

昭和の名曲 北原ミレイ 石狩挽歌(いしかりばんか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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