僕にまかせてください 昭和50年
さだまさし:作詞・作曲
きみはその手に 花をかかえて 急な坂道(さか)をのぼる
中略
草をつみながら 振り返ると 泣き虫のきみがいた
この出だしのフレーズは「さだまさし」さんにしか作れない、不滅の旋律だと思います
そこに、美しい日本語や、とても優しい言葉が紡(つむ)がれていくのです
場面は、彼女の母のお墓参り
大事に育てられたであろう彼女との愛を、亡き母の墓前に誓います
僕が大切にしている 陽だまりのような人
それもそっと きみのかあさんが 残してくれたもの
彼女がとても大切にしているのは、かあさんが作った藤色のお手玉です
「お手玉」と「陽だまりのような人」、それは彼女と僕の大切なものです
かあさんが残してくれたものが、見事に呼応しています
お墓の草を取るのではなく、摘(つ)むのです(なんて優しい表現でしょう)
「陽だまり」「草摘む」「れんげ草」は春の季語で統一されているのです
彼女の人柄に、穏やかさを重ねているかのように・・・(ちなみに、「草取り」となると夏の季語になり、いただけません。流石です)
この時期の「さだまさし」さんの作品には、畏敬の念しかありません
彼はこの曲の題名を当初「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」としていました
イメージが暗いと指摘されて変更したようです (”ウキペディアより”)
販売的には、正解だったのでしょう
「彼岸過迄」と題した「さだまさし」さん
惹(ひ)かれてやまない理由がこんなところにもある気がします
後に彼は『僕にまかせてください』のセルフカバーを収録しました
細かい事ですが、最後の繰り返し部分
両手をあわせた かたわらで 揺れているれんげ草
あなたの大事な人を僕に まかせてください
上記の1番の歌詞を、繰り返しに持ってきています(クラフト・オリジナルは2番)
私も1番が似合う派です(「かたわら」という言葉と「れんげ草」が好きだから…かもしれません)
クラフトとマンドリン
マンドリンの音色
ボーカルの声とマンドリンの響きに癒(いや)されます
ピアノを弾かれながら歌われる映像が残っていました(昭和50年)
オリジナルと変わることのない生演奏は、「クラフト」にしか出せない世界があり、あまりにも早い解散が悔(く)やまれます
以前動画のコメント欄に「マンドリン?の音が聴きたくなると、ここを訪れます」と書き込むと、「フラットマンドリン」であると、親切に教えてくださいました
マンドリンには派生タイプがあるらしく、フラットマンドリンは、少しレトロな小さめのギターみたいなイメージでしょうか
てっきり、楽器「琵琶(びわ)」のようなものだと勘違いしていました
この音色といい、独特な演奏の仕様といい、この曲には欠かせません
ミュージシャン・三井誠
作曲家として、現在も活躍されています(奥様はなんと、女優・高橋洋子様、お目目真ん丸で、笑顔が特に好きでした)
稲垣潤一『クリスマスキャロルの頃には』を作曲されていました
秋元康の詩が先行し、サビの部分が印象的です(正直、ここしか知らない私でした)
改めてじっくりと聴き直してみると、とてもいいんです
見事な曲でした(クリスマスソングといえば「安奈」しか聞かない私がバカでした)
P.S.
蓮華草(れんげそう)
【やはり野に置け蓮華草】
先ほどの、動画コメント欄にあった言葉です(初めてききました)(ユーチューブは、色んなことを教えてくれます)
れんげ草は、野に咲くから美しく見えるのであって、それを摘んで家に飾っても調和せず、美しく見えないことから
俳人「滝野瓢水」が、遊女を身うけしようとした友人をいさめた句
「手に取るな やはり野に置け蓮華草」から(遊女は、色町にいてこそ美しく見える)
”故事ことわざ辞典より”
含蓄のある言葉です
幼い頃、れんげ草をむしり取り、花の蜜を吸って喜んでいました
また、足で踏んづけたり、寝転がったりもしていました
野に置かれたままのれんげ草も、また、堪(たま)ったものではありません
春のお彼岸には、まだ遠く、寒い日が続いています
春とともに咲き始めるれんげ草に、かたわらで、そっと両手を合わせたいと思います
P.S.2
私の『僕にまかさてください』
結婚して2か月後、嫁の母が亡くなりました
いわゆる「できちゃった婚」でしたので、2か月後に長男の誕生です(初孫の顔をみずじまいです)
その2か月後、アパートの前にベビーカーが届きました
亡くなった母からです
お墓の前で、この歌を思い出しながら手を合わせたのが、もう21年も前になります
最近は、ご無沙汰しておりますが、もうすぐ命日がきます
あなたの大事な人は、気強く仕事に励んでおられます(年間360日は働いているようです)(生き生きと楽しそうなので、勘弁して下さい)
こんな私にまかせてもらったことに、”ぽつりと ありがとう” とお伝えしたいと思います
了
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