15歳でのアイドルイメージとしてデビューされて以来、厳しい状況が続いていました
そんな彼女の、白い帽子を可愛くかぶった、少し垢(あか)抜けない少女の姿が当時から気になり、密かに応援していました(同じ事務所、桜田淳子さんとキャラがかぶったのも不運でした)
デビュー曲『かくれんぼ』(昭和48年)から数えてちょうど10曲目
『霧のわかれ』
あまり知られていないこの曲と、久しぶりに懐かしく再会することができました
霧の別れ 昭和51年(1976年)
作詞:西沢爽 作曲:浜圭介 編曲:竹村次郎
イントロの「オカリナ」?と「マンドリン」?は昭和の名曲の鉄板グッズといえるのではないでしょうか
別れのしるしに あなたの手のひらに
白いハンカチ のせました
「白いハンカチ」?
なんだかよく分かりませんが、これからの展開が気になります
それは、私ごときでは読み解けない、この物語の素晴らしさを予感させる描写だったのかもしれません
もうなにも 言うことは ありません
さよならを するのに 似合います
あまりにも哀しい出来事に対して、人は言葉を持ち合わせていないのです
本当に苦しければ苦しい時ほど、感情を表に出せないのかもしれません
「浜圭介」さんは、たとえようのない深いこの想いに対して、ゆらゆらと心地よいほどの旋律をかぶせてくるのです(”もうなにも言うことはありません” 私の思いもこの言葉に尽きるのです)
思い出 半分 あなたに 返します
ひとり 抱くのは 重すぎる
「西沢爽」さんは「からたち日記」「ひばりの佐渡情話」などを作詞されています
何度もご存じの【ウィキペディア】さんに、この作品が入っていないのがすこし残念でした(「悔しいです」とザ・ブングルの加藤さんなら言ったでしょう)
あの影は あとも見ないで 私だけ 霧が 霧がふります
3番では、最後の最後に感極まります
「霧が」の部分で吐息のような震えた声は、感情移入が素晴しく、迫力さえ感じるのでした
『天城越え』『風の恋盆歌』などの原点がここにあることに、気づかされたのです
沈丁花 昭和53年(1978年)
【沈丁花】という花の名前の由来は、香木の沈香のような良い匂いがあり、丁子(ちょうじ、クローブ)のような花をつける木、という意味でつけられたようです(ウィキペディアより参照)
『津軽海峡冬景色』で大ブレイクした「石川さゆり」さん
怒涛のように、同じ「阿久悠 / 三木たかし」コンビで『能登半島』『暖流』とヒットを続けます
そんな中、発売されたこの曲は、久しぶりにしっとりと歌い上げて下さいました
作詞:東海林良 作曲:大野克夫 編曲:馬飼野康二
こちらのイントロはアコーディオン(たぶんです)が使われています(横山良蔵さんの素敵な笑顔が思い出されます)
降りしきる雨の吐息に 濡(ぬ)れて 傾く 沈丁花
12語もある詩を一息に語る、特徴ある出だしです(傑作「唇よ、熱く君を語れ / 渡辺真知子 / 東海林良作詞」の題名を彷彿とさせる長さです)
2月末から3月にかけての冷たい雨にうたれる、白い花「沈丁花」(さゆりさんにお似合いです)
ただ「雨に傾く」のではなく「雨の吐息」に傾くのです(さすがです)
許されぬあの人と 二人忍びあるく 坂道
歌詞の多さと言葉のこの運びが、なぜか心地よく感じてきました
思い切れない 人だから 思い切れない 恋だから
(二番は「忘れられない」となり「終わりかけてる」で三番が終わります)
「ひと~だから」
最高の聞かせどころでしょうか(一瞬の裏声への切り替えがたまりません)
この頃はまだ声質はか細く感じられ・・・って調べたらまだ二十歳でした(驚きと共に、この若さがとてもまぶしく感じます)
ひたむきに 燃える心
「ひたむき」です
なんてすばらしい言葉なのでしょう
ひたむきな白さと燃える炎の対比ともいえるかもしれません
これからの6月の雨は、だらだらと鬱陶(うっとう)しくもありますが、それはある意味、雰囲気もあります
しかし、この彼女にとって冷たいだけの ”降りしきる雨” は、厳しく辛い背景にしかなりません
雲の切れ間に 陽ざしが見える 夜明けの裏通り
「森昌子」「桜田淳子」「山口百恵」の三人娘の活躍を横目で見ながらの、デビュー以来の裏通り
しかし「石川さゆり」は自らの努力でメインストリートへたどり着くのです
天性の歌唱力と彼女の意地が、表舞台へと一気に駆け上がったのでした
”雲の切れ間の陽ざし” は、燦燦(さんさん)と輝き始めるのでした。
P.S.
「石川さゆり」さんの人生を変えたともいえる『津軽海峡冬景色』(昭和52年 / 1977年)
前年の『霧のわかれ』と翌年の『沈丁花』をあえて取り上げさせていただきました
不動の「O・N」に対して、2番のいぶし銀の「土井正三」さんと5番の球界の紳士「高田繁」さんもしくは6番の勝負強い「末次民夫」さんという立ち位置でしょうか(読売巨人軍V9最後の年・1973年参照)
(ちょっと何言っているかよく分かりませんが…)(とにかく、昔から脇役が大好きなもので…)
1976年、同じホリプロの同期「山口百恵」さんは、『横須賀ストーリー』をリリースし、スターへの道を確実なものとします(ドラマ「赤いシリーズ」には1974年から出演しています)
売れてナンボの芸能界です
デビューから4年近くたち、事務所の扱いもかなり冷たくなって来ただろう事が想像されます
そして起死回生のヒット曲『津軽海峡冬景色』(力が入らないわけがありません)
しかし、この迫力はヒットしたからではありませんでした
彼女は、デビューしてからずっと歌に対して魂を込め続けていたのでした
『砂の道』
作詞・作曲:谷村新司
「谷村新司」さんのアルバム「海猫」に収録されたこの曲を「石川さゆり」さんは渾身の力を振り絞って歌っておられます
歩いても 歩いても 歩いても
振りむかず 振りむかず 振りむかず
それしか 出来ない 私の生き様
負けない 負けない 誰にも負けない
彼女は、恐ろしいほどの目力で訴えています
歌手「石川さゆり」の意地を感じる貴重な動画でした(それにしても、あごの下のホクロがいつ頃からかなくなった気がします)(好きだったのになぁ)
「石川さゆり」
それは、炎のような、誰にも負けない、生まれながらの、「昭和の歌い手」でした
このたびも、『砂の道』という新たな出会いに感謝します
「谷村新司」さんの数ある傑作の中に、また一つ加わることとなり、大きな幸せを感じるのでした。
了
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