昭和47年 第23回NHK紅白歌合戦は、視聴率80.6%の怪物番組となりました
その中から勝手に厳選し、6曲をご紹介いたします
紅組、トップバッターは
朱里エイコ
作詞:山上路夫 作曲:鈴木邦彦
堂々たる紅白初舞台
黄色く輝くラメ入り衣装は、スタイルの良さを引き立てます
当然、お決まりの超ミニスカート(よくぞ許したNHK)
16歳で単身渡米した彼女は、帰国後すぐに、この歌をヒットさせます
安定した声量・歌唱力は圧巻でした
ダンスもキレキレ
1番を歌い終わると、「イエッイ!」と小さく気合を入れなおします
威風堂々たるやモノが違います
リズムに乗った軽やかなステップ
自然な流れで、グルリと回したマイクのコードを小指に挟みます(カッコよすぎです)
なんて素敵な「おねえさま」でしょう
心の中で喝采いたします
(ただし、当時は「石橋正次」「南沙織」「青い三角定規」の面々が待ち遠しかったけれども…)(まだまだ子供でした)
北国行きで 昭和47年
スーツケース ひとつさげ
この時代あたりから、女性の方から別れを告げる内容が、散見され出した気がします
ちょうど、女性たちが自立し、社会進出が目立ち始めた頃でしょうか
それまでは、身勝手な男がボストンバッグを肩にかけ、飛び出していく・・・
そう、堺正章の『さらば恋人』(歌詞及びレコードジャケット)や石橋正次『夜明けの停車場』のイメージでしょうか
これからは一人で生き抜くことを予感させる、悲しくも力強い女性のイメージに「朱里エイコ」さんはぴったりだったかもしれなせん
にくみ合わない その前に 私は 消えていくの
彼女はそっと身を引きます
スーツケースを一つ携(たずさ)えて・・・
葛藤と苦悩
ダンスも踊れ、歌唱力・表現力も抜群です
しかし、実力さえあれば、作品さえよければ、レコードが売れるわけでないのです
特にこのころは、アイドル全盛の時代(申し訳ありません、私もそっちばかりに目がいっていました)
ヒット曲がなければテレビに出れないのです
実力も備えたうえで、たいへんな努力家でもある彼女
80年代に向けて、厳しい現実と向き合います
時代が合わなかったのか、生れてくる国を間違えたのか
56歳の若さで永眠された偉大なアーティスト
昭和47年の紅白でのパフォーマンスは永遠に残したい文化遺産だと思います。
P.S. うるう秒
原子時計と地球の自転速度の誤差の調整らしいです
ちょっと調べたが、かなりややこしいので、ザックリと
一日を24時間としている現在、実際の地球の自転時間はのほんの少し多くかかる
例:24時間+(0.002秒)/日
この時間差を数年に一度調整する=うるう秒(らしい)
現在のシステムが初めて導入されたのが1972年なのです
記念すべき年・記念すべき紅白・記念すべき美脚?
昭和47年、万歳!、あなたはエライ。
閏(うるう)年 同じ「うるう」がついても、全く別物
うるう秒が自転の誤差に対し、うるう年は公転
地球は太陽の周りを1年かけて一周しています(公転)
一般的に365日/年
4年に一度うるう年があるのはナゼでしょう
ザックリ365日であって、細かく言うと365.24日
例:365日+5時間48分/年
この毎年の積み重ねを(5.8×4=23.2時間)を4年分まとめたのが、2月29日(うるう日)
ここからがややこしいのですが、4年に一回(24時間)のうるう年を作ると引きすぎます
そこで100年に一回うるう年だけど、平年(365日)扱いするのです
ここまでは、私とは違い、賢い優等生・パソコンのこと、当然習っていました
しかし、しかし、天文学?の奥深さ(太陽暦か)
100年に一回だと、足しすぎちゃいます
なので、400年に一度、「裏の裏は表」うるう年扱いです
もう、なにがなんやら、頭が痛くなってきます
2000年問題
何も知らされていなった、「優等生」君は100年一度なので西暦2000年になると平年扱いするのです(すこし出来の良くない子は、下二ケタだけで判断し、1900年と考える子もいたらしい)
すべて数値化することは、大変便利ですが、融通が利かないことも多々あります
何が言いたいのかというと(長々と訳の分からないことを言ってすみません)
少しゆいる~昭和が懐かしく、私にはとてもお似合いの時代だったかもしれません
閏(うるう)とは「潤」と混同され「うるおう」がなまったものらしいです
昭和47年・第23回紅白出場者の方々は、有り余るほどの「潤い」を与えて下さることを予感いたします。
第一回「朱里エイコ」編
了
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山本リンダ 『どうにもとまらない』 私の心にねらい撃ちされていました
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