昭和47年 23回紅白を独断でご紹介しました
やはり最後は「喝采」です
これしかありません
昭和の名曲と言えば「喝采」 昭和47年
この作品を外すわけにはいきません
言わずと知れた「昭和の怪物」、阿久悠さん作詩かと思いきや
失礼いたしました(勘違いしていました)
ドラマ性の素晴らしさは、多くの方が絶賛(ぜっさん)されていますが、無邪気(ほとんど何も考えていない)な小学生にまで響かせるところが、この作品の底知れぬ力かもしれません(特にイントロは忘れがたく心に残り続けました)
吉田旺(おう) 作詞
『二人の夜明け』(五木ひろし)や『立待岬』(森昌子)などが各賞を受賞されていますが、私は『東京砂漠』の歌詞が特に好きです
少し前に取り上げた『木下結子・放(ほか)されて』も作詞されています(多分知らないでしょうけども)
吉田旺さんは、作詞家を目指す方に言っておられました
「すべてに観察魔であり、妄想怪人であれ!」”Uta-Net 言葉の達人より”
作詞家を目指す力は私にはありませんが、「妄想怪人」には、頑張ってなりたいと考えています(家族にはよく変態親父と呼ばれているので)
幕が開きます
届いた報(しら)せは 黒いふちどりが ありました
「黒いふちどり」の表記は縁起が悪いと反対されましたが、「ここが核だから」と譲りません
妥協の連続というか、人生そのものが諦(あきら)めに近い私には「男」って感じでカッコいいです
当時、「黒いふちどり」の意味も言葉も知らず、また「喪服の~」を「もう吹くの~」と歌っていました
情けないやら、申し訳ないやら・・・(吉田旺さん、遅まきながらですが、あなたの偉大さに感動しております)
二幕
耳に私のうたが 通りすぎてゆく
暗い待合室での一コマです
一番辛い時間だったかもしれません
後付けですが、御主人の葬儀の時「私も一緒に・・・」
彼女は、泣き叫んだみたいです
この歌詞を思い出さずにはいられませんでした
三幕
”いつものように幕が開き”で始まり”いつものように幕が開く”で終わりをしめます
この言葉の妙を讃(たた)えているコメントがありました
凡人の私には、言葉の違いは気づけますが、気持ちの違いを表すこの方法は、一生かかっても気づけないでしょう
中村泰士 作曲
『大阪の女』(ザ・ピーナッツ)『そして…めぐり逢い』(五木ひろし)そして傑作『愛は傷つきやすく』(ヒデとロザンナ)etc
なんといってもスター誕生
じろりとにらみを利かせる「阿久悠」・発音にやたらうるさい「松田トシ(敏江)」
そしてわれらが「中村泰士」先生、笑顔が印象的な、優し気で、もみあげの似合う紳士でした
後年、予選落ちが2回続いた「中森明菜」さんを一発合格させ、本チャンでは99点を付けます(百点つけたかったが、2ケタ表示だったためらしい) ”ウキペディアより”
見る目も確かです(いつも厳しい松田敏江先生は63点・愛のムチでしょう)
ポップス系では珍しい、「ヨナ抜き音階」
初めて聞く言葉です
「ド」を起点として、よっつ目「ファ」とななつ目「シ」を抜いて作ります(にわか仕込みなので怪しい情報です)
古くから民謡・童謡に多く使われ、演歌もこのパターンがよくあるそうです
失敗を恐れず、何事もチャレンジです
あれは三年前 止める アナタ 駅に残し
駆けていくような様、盛り上がり感が遺憾なく発揮されており、至高の旋律となっています
「ちあきなおみ」さんの歌唱力とあいまって、神秘的迫力さえ感じるのでした
ちあきなおみ 唄
物まねのプロ 対 本物
彼女の歌うシーンについては、「コロッケ」の物まねを避けては通れません
「頭に浮かんでしまう」「罪深い」「冒涜(ぼうとく)である」「超A級戦犯」等たくさんのコメントがあります
確かにそうですが、彼も物まねのプロです
そんなことは些末(さまつ)なこと、そう思えるほどに、彼女の存在は大きのです
完全にそのレベルを超越しているのです
レコード大賞受賞時の映像を、是非ご覧になって下さい
ただ一点を見つめ、涙をこらえながらの熱唱です
特に、歌中の「アナタ」
この気持ちの入りようは、筆舌に尽くしがたく、まさに唯一無二の本物なのです(2番の歌詞を間違えたことさえ、愛(いと)おしくてたまりません)
そして当時、若干25歳です
この落ち着きと健気さ・自信を持ち合わせたような、素敵なしぐさです(25歳「遅っ」で初めて社会というものに触れた私は、いつもびくびくしながら生きていました)(そもそも比べる対象が違いすぎますが…)
生き方
「喝采」以降思い出されるのが『矢切の渡し』
元々B面(6年後にA面シングル)だったらしく、彼女がじっくり歌い上げています(競作で知られていたが、元祖だったのですね)(今では大御所となられた細川たかしさんは、この曲でレコード大賞受賞です)
作曲した「船村徹」さんは、二人について、細部まで手の込んだ《手漕ぎの船》と《モーター付きの船》と評しています(ほんとはもっと辛辣な意見が続きます)
彼女の歌に、こんなにも引き込まれるのは、どうしてでしょう(特にここ最近)
彼女の目力、立ち居振る舞い、すべてに魅了されているのです
結婚後「ヒット曲を追うのではなく、自分が歌いたい歌にじっくりと取り組みたい」”ウキペディアより一部引用”
肩に力の入っていない、素敵なコメントだと思います
その後、御主人が亡くなり、それ以降一切、表舞台に現れていません
最愛の夫が眠るお墓の近くに、マンションを購入されたということらしいです
喝采
題したのは、当時のコロンビアレコード、プロデューサーの「東元晃」さんと言う方らしいです ”ウキペディア”
この一連の秀逸なドラマ曲を喝采と題したその一点だけでも、感性・凄さ・世界観にひれ伏してしまいます
作詞・作曲・編曲(高田弘)・プロデューサーそして歌い手
それぞれの「理想」、「思い入れ」、「いきざま」がありました
わずか、3分35秒に力の限りの魂が入っているのです。
P.S.
第14回 日本レコード大賞
当初、本命は『瀬戸の花嫁』(小柳ルミ子)さんです
発売は、昭和47年4月(喝采は9月)で、日本歌謡大賞も受賞していました
デビュー曲『私の城下町』が大ヒットしています
翌年の作品(まだ2年目)で、見事、堂々の大賞候補なのです(デビュー作の方が好きかな、ぐらいにしか思っていませんでした)
本命の文字に少し違和感を覚え、当時の状況や映像を調べてみたくなりました
最初に飛び込んだのは、日本歌謡大賞・受賞シーン
不覚にも、涙が止まりません
何度か『瀬戸の花嫁』のオリジナル音源を聴いてみることに
「大本命」「最有力候補」
間違いなし!でした
歌謡曲全盛期の幕開けにふさわしい昭和47年、記念すべき年末の戦いだったのでした
この年に活躍されたたくさんの方々に、拍手喝采を捧げ、このたびの特集の幕を閉じたいと思います。
了
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