あがた森魚 赤色エレジー 引退されたら「幸子の幸」を見つけて下さい

天才的カバー二スト(勝手に私が名付けています)「浜田真理子」さんが歌唱されていたこの曲に、大いに惹かれていました

せっかくなので、本家本元の「あがた森魚」(あがたもりお)さんも聴いてみようと思い、ここに至ります(「あがたもりうお」さんと読んでしまい、失礼いたしました)

 

浜田真理子さんは、独特の世界感を持たれ、素晴らしい選曲をされている方です

オリジナルに勝るとも劣らない数多くの作品ばかりで、当初は「浜田真理子」バージョンで考えていました

 

しかし、この『赤色エレジー』オリジナル盤、予想をはるかに超えしまって、もうほっとけません

(浜田ファンには大変恐縮ですが、私の別記事ブログを読んでいただき、ここは一旦こらえていただければ、二重の意味で幸いです)

 

見出し部分が長くなっており申し訳ありませんが、もう一つ謝らなければなりません

題名の「赤色」は「せきしょく」と読むことを先ほど動画をみていて知りました(失礼なアナウンサーやなぁ、題名を言い間違えるなんて!と思っていたら、失礼な大馬鹿野郎はこの私だったのです)

 

赤色(せきしょく)エレジー  昭和47年(1972年)

 

作詞・編曲:あがた森魚 / 作曲:八洲秀章

 

作曲者が八洲秀章となっている。理由は、曲が八洲の作曲した「あざみの歌」に似ていることからレコード会社側の判断で八洲の作曲と表記したのであって、実際は作曲もあがたが手掛けている。「ウィキペディアより」

レコード会社の判断ですか・・

 

改めて何度も聴き比べてみましたが、「あがた森魚」さんのオリジナリティーを揺るがすような事は一切感じられません

 

むしろ彼の人の良さみたいなものも感じられ、人間的にも益々惹かれていったのです(作曲者の件については何のわだかまりも持っておられないようですし、タモリさんとの対談も素敵でした)

 

 

愛は 愛とて 何になる 男一郎 まこととて

 

歌詞の最後にあるとおり、「幸子」と「一郎」の物語です

時代は、昭和余年(よく分かりません)(当然ながら、ここでも昭和4年と勘違いしました)

 

「過去のいつかほかの年」ぐらいのイメージなのかもしれません(ヤフー知恵袋参照)

自分としてはなんとなく「昭和30~35年」ぐらいでしょうか(適当です)(たぶんもっと昔なのかも)

 

 

幸子の幸は どこにある

 

曲調といい、この投げやりともとれるセリフ感

哀愁というより退廃にちかく、それでいてどこか愛(いと)おしいこの女性です

 

この歌詞にすべての思い、この唄の根っこが埋まっている気がするのです

そしてここに私が惹かれた理由があるのです(もう一つは、あとで少しふれますが、彼の歌唱力というか、歌唱表現力です)

 

『SACHIKO』と題して「ばんばひろふみ」さんも歌われているように(1978年)、このお名前は皮肉にも不幸の陰が付きまといます(あくまでも、歌の世界に限っての個人的な印象です)

 

 

男 一郎 ままよ とて

 

「ままよ とて」

何となく、分かったような分からないような・・・

 

 

まま‐よ【儘よ】 の解説

施すすべがなく、成り行きまかせにするときにいう語。なんとでもなれ。どうなろうと勝手にしろ

(goo 国語辞典より)

 

誠実ではあるけれど、どこか頼りないところも・・・

男ってこんなものなのかも・・・

 

すべての想いを「ままよとて」という言葉に託したのかもしれません

 

 

オフトンもひとつ ほしいよね  いえいえこうして いられたら

 

聴いていた最初のころは、何となく男の心情を唄っているのかと勘違いしていました(やたらと、かんちがいばかりしている私です)

 

あなたの口から サヨナラは 言えないことと 思ってた

 

後半は、この女性らしい心情が次々とこぼれます(健気です)

 

最後は”お涙ちょうだい”の物語だと自嘲気味に言い、” ありがとう ” で締められます

こちらこそ、大変ありがとうございました

そして心より感謝したします

 

歌は正直言って、うまくはないように聞こえました

曲も単調でこれといって特徴があるわけでもありません

しかし、なぜこれほどまでに惹かれ、何度も何度も聴きたくなるのでしょうか?

 

ピアノと鼓笛隊の小太鼓をイメージさせるのドラムでシンプルにリズムを刻みます

そして、ヴァイオリンが奏でる哀愁と「あがた森魚」さんの節回し

これ以上何も望む必要はありません

 

話は最初に戻りますが、「浜田真理子」さんの動画視聴から、ご本人オリジナルにたどり着きました

その浜田作品の中でのコメントに「わざと、たどたどしい歌い方と弾き方をしている」というのがありました

そんな見方もあるのかとその時は思いましたが・・・(確かにとても雰囲気が歌にマッチしていたような…)

 

「浜田真理子」さんにかぎらず、「あがた森魚」さんももしかして?

わざとではないでしょうが、歌のイメージを大事にしたその場限りの一発勝負的なところに、よりこの作品の魅力を感じていたのかもしれません(”さくらと一郎”の「~いち~ろう」のところで声がうらがわり、しびれます)

 

何度も出てくるこのセリフです

 

幸子の幸は どこにある

 

名前の中にあります

あなたに出逢えた相手の気持ちの中にもあります

そして、この歌を聴けることができた私たちの心の中にたくさんあるのです

 

悲しみを唄う音楽だからこそ、哀しみを癒(いや)してくれる

そんな本物の「エレジー」を、何気に教えてくれた気がするのでした。

 

P.S.

 

林静一(イラストレーター・漫画家)

 

1970年、「林静一」さんの代表作『赤色エレジー』漫画雑誌ガロに連載され、この作品をモチーフに名曲『赤色エレジー』は誕生しました(「林静一」さんが、シングルのジャケットイラストを描いています)

 

小梅ちゃん

 

小梅(こうめ)はロッテが製造・販売する梅味のキャンデー。1974年(昭和49年)発売開始。

CMキャラクター【小梅】(性別・女)シニヨンに梅の花の髪飾りを付けた少女。(ウィキペディア)

(シニヨンとは、束ねた髪をサイドや後頭部でまとめた髪型のことである。簡単に言えば、ポニーテールを丸くまとめたものである。

「小梅ちゃ~ん」との叫び声が、ほろ苦い青春時代を思い起こさせてくれます

 

「やくしまるえつこ」さんのわわいい声がぴったりのCMが流れていました(「わたしの恋もいつかきっと」編より)

咲いて散るのが 梅ならば 散って実も 梅の花

私の恋も いつか きっと

(ロッテのキャンディー 恋の味)     すっ

 

「林静一」さんのお梅ちゃんのイラストは魅力的すぎました

梅が小さい頃から苦手の私も、思わず「お梅」は何度も衝動買いします(意外と食べてみればアリでした)

いま改めてみていると、アニメーション動画も、当時の最先端を走っていたに違いありません

 

山へと去っていく西部のガンマン「シェーン」へ、必死に呼びかけるあのジョーイ少年のように

「お梅ちゃ~ん!! カムバック!!」

 

その声はいつまでも山にこだまするのであった・・・

(西部劇映画「シェーン」のウィキペディア解説参照)(主演はアラン・ドロン、知りませんでした)

 

「林静一」「あがた森魚」

アーティスト二人の運命的な出会いが、当時もその後も日本の宝となっていることを確信いたしまました。

 

たま 『さよなら人類』 ようこそ、不世出の人類たちよ!

北原ミレイ 石狩挽歌(いしかりばんか) 昭和50年

コメント

タイトルとURLをコピーしました