作詞:吉田旺 作曲:徳久広司
《実は方言だった言葉》で、常に上位にランキングにされます
「ほかす」=捨てる
関東の方は馴染みがない言葉でしょう
それ以上に、馴染みどころか一切知らないであろう「木下結子・放されて」
放されて 昭和59年
男に捨てられ、いっそのこと大淀川へ・・・
水に七色 ネオンの花は 夢がありそに 浮かれているけど
舞台は、大阪のネオン街(グリコの看板あたりか)
曽根崎という言葉も出てきます(詳しくないのでよくわかりません)
弱さを見せながらも、自分を叱り、勇気づけながら生きる
そんな「大阪の女」の物語です
忘れなあかん
「忘れたい」、心で分かっているのです
でも心が叫びます
あんたなしでは よう生きられん
洒落(しゃれ)た女で いたいのやけど 私(うち)はやっぱり 演歌です
誰しも割り切って生きていきたいものです
みじめにならず、カッコよくありたいけれど、私もやっぱり演歌です
泣いたらあかん
グラス片手に 気取ってみても
泪ぼろぼろ よう止められん
ただ泣くのではなく
慟哭(どうこく)するほどに、もうボロボロです
いっそ 放(ほか)そか 大淀川へ あんた恋しと 哭(な)く こころ
昭和59年頃は、田舎から関西でて、人に言えない学生生活をしておりました
阪急電車に揺られながら「大淀川」を眺めていると、この歌詞がずっしりと心に響いてくるのでした(パチンコで電車代までやらかした時は、情けないやら、不甲斐ないやら…)
「関西人」でもなく、「大淀川」も見たこともなく、「ほかす」などとう言葉に無縁なあなたも
ネオンに輝く「隅田川?」を見る機会があれば、この唄を思い出してください。
サックスとヴァイオリと歌唱力
間奏のサックスとサビ部分のヴァイオリン(たぶん)の演出の凄さ
途切れることをしらない肺活量で、サックスがむせび、嘆(なげ)きます
心揺さぶるヴァイオリの旋律が、波のように繰り返し押し寄せるのです
何度聴いても、彼女の声とともに酔いしれます
ぽつりぽつりとささやくように
無名ですが、歌唱力には定評があります
ゆっくり一言、一言ささやく歌い方は、その技量が試(ため)されるのです
彼女は余裕をもって、ドスをきかせます
あくまでも、心地よく・哀愁を漂わせながら・・・
作曲家 徳久広司
作詞・作曲・唄 徳久広司
『北へ帰ろう』
北へ帰ろう 誰にも告げず
男の美学か責任なのか
何故に一人で北に行ってしまうのか
浅はかな私にはよくわかりません
でも、深い哀しみが、伝わってくるのです
シンプルゆえの曲調が、心にずっと残り続けます
素敵な人に出逢える喜び
「放されて」により、木下結子さん・徳久広司さんに出逢うことが出来ました
こうしてまた一つ、昭和の引き出しが増え、今日もまた小さな幸せを感じさせていただきました。(吉田旺様宅は、後日訪れることに致しましょう)
P.S.
曽根崎→曾根崎心中→近松門左衛門→人形浄瑠璃
・曾根崎・・・大阪とは知りませんでした
・曾根崎心中・・・聞いたことはあります
・近松門左衛門・・・(浄瑠璃)の作者 曾根崎心中上演は1703年 意外と昔です
・浄瑠璃(じょうるり)・・・三味線を伴奏楽器とし太夫が語る劇場音楽
・(人形浄瑠璃)文楽・・・「三業」太夫・三味線・人形遣い 男性(太夫)によって演じられます
作詞家、吉田旺さんは、あえての舞台を、曾根崎に設定されたのでしょうか
歌舞伎・能・浄瑠璃など貴重な日本の古典芸能
そろそろ女性が主役を演じてもよろしいのでは?
見たことも触れたこともない自分は、無責任にふと感じました
昭和の歌は、懐かしくも、とても勉強になります
了
北へ帰ろう(寺内貫太郎一家・挿入歌) 徳久広司 昭和50年 (1975年)
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