許されない愛 昭和47年
作詞:山上路夫 作曲:加瀬邦彦 編曲:東海林修
沢田さんの数ある楽曲の中で、この歌だけはカラオケで歌ったことがあります
無性に聴きたくなり、歌いたくもなるのです
帰るところのある あなたなら 遠くで 僕は幸せを ひとり祈るだけ
じっと気持ちを抑え続けます(この時の哀し気な表情がたまりません)
”分かっているが、若者の命をかけた愛です
奪って逃げて行きたい”
最後の「行きたい」
絶叫です(ファンでなくても、普通に失神します)
井上堯之バンド
紅白では、初の専属バンドとして、堂々の演奏です
テロップに「ザ・いのうえバンド」と表示されました(たぶん)
「専属なんだ」と驚いた気もします(ダン池田さん申し訳ありません)
彼らの音楽センスなくして、「沢田研二」は語れません
・井上堯之:ギター
・大野克夫:オルガン(のちに「太陽にほえろ」の楽曲などを多くを引き継ぐ)
・岸部修三:ベース(のちの名俳優・岸部一徳)
・原田裕臣:ドラムス
心地よいオルガンと、迫力あるトランペットが迫(せま)り来るのです(歌い手と楽器がちょっと戦っているみたいです)
2番から合流するエレキギターは絶妙で、一緒にデュエットするかのようです(仲直りしたようです)
そして、エンディングの時間は短いですが、ずっと聴いていたい気分なのです
沢田研二さんは、「勝手にしやがれ」以降、益々ビジュアル系に拍車がかかり≪これでもか≫というくらいに攻めていきます(雨を降らせたり、ウイスキーを口で吹きかけたり、世の女性を(男性も)酔わせます)
そしてついに、
昭和55年元旦に発売した「TOKIO」で電飾の衣装を身に着け、パラシュートを背負います
その後も彼の人気は止まりません
しかし、悲しいことに昭和55年1月24日、大野堯之バンドは解散するのです
まるで私が、80年以降少し距離を置き始めたように・・・
大スター沢田研二と作曲家と沢田研二
スーパースター
GS(グループサウンズ)ブームを知らない私は、『危険な二人』で初めて彼のことを認知したのです
それ以降の活躍は、誰もが認める文字通りの超スーパースター
当時人気絶頂のアイドル「石野真子」ちゃんに、彼氏に対し「ジュリーがライバル」たれ、と言わしめたほどです(あくまでも曲の中でです、念のため)
「許されない愛」を当時の音源で聴いたり、初期の映像を見るにつけ、彼の歌唱の変化に驚かざるを得ません
5年・10年・20年と留(とど)まることなく、進化し続けているのです(体形の進化は、ちょっぴり残念ですが、それを飲み込んだうえでの「大スター沢田研二」だと思います)
彼のコンサートの人気が分かる気がします(私がもし行くときだけでも、ドタキャンしないでね)
作曲家、沢田研二
・『コバルトの季節の中で』『ス・ト・リ・ッ・パー』『麗人』
自ら歌った名曲たちです
特に「コバルト…」は、心が和む曲調で、「ほっとする私」に気づかせてくれたのは、詩の影響ばかりではない気がします
提供曲も多彩で、ほんの一部のご紹介です
・『東京の女』《ザ・ピーナッツ》(大阪の女とは全然違います)
タイガース在籍時代です(昭和45年)(二人の接点はココなのか?)
・『ラ・セゾン』《アン・ルイス》(詩・曲ともに流石です)
出産後の、気合の一曲です
ご存じ作詞は、三浦(山口)百恵さん(昭和57年)
(友達の百恵ちゃんにゴリ押しし、大ファンの沢田さんにも無理やり依頼)(アンさんらしい、ノリノリの曲とパワフルエピソードです)
”注:個人のイメージです・エピソードはかなり脚色しています”
P.S.
岸部一徳 ベーシスト&俳優
ウキペディアより
一番怖いものは何?
ベトナム戦争が激化していた当時、雑誌インタビューで質問され、他のメンバーが「戦争」「武器」などと答える中、
「人の心」
と彼は、答えます
表情一つ変えず、飄々(ひょうひょう)と対応する姿が、想像されます
信念(ハードロック志向)に基づき、バンド活動も昭和49年脱退
役者の道へと進みます
しかし、沢田研二さんとは、今でも親交が深いのは、お互い認め合う何かがあるからでしょう
名脇役なれど・・・
今でも、とても好きな俳優です
ベースという楽器のチョイス、俳優業でも脇役が多い気がします
あえてそこを選んでいるのかもしれません
でも私は、「岸部一徳」主演映画が見たいです(社会派ドラマかコメディ希望です)
題名は、一番怖い「人の心」でお願いします。
了
|
コメント