終着駅 昭和47年
作詞:千家和也 作曲:浜圭介 編曲:横内章次
落葉の舞い散る停車場は 哀しい女の吹だまり
切々と階段を駆け下りるように、哀しみを携えて曲は流れます
だから今日もひとり 明日もひとり 涙を捨てにくる
これほどまでに、うら寂しい場面に出会ったなら・・・
か細くも安定した歌唱で、「奥村チヨ」さんによる情景描写は始まるのでした
バラードによる新境地
自身のイメージからの脱却
この曲の発表により、よく言われていたらしいです
ただし、私の中では、奥村チヨといえば「終着駅」
しっとりと、切々と歌い上げるイメージでしょうか
なざかこの、切々感が妙に心に残っているのです
10歳の少年にとって、この歌を理解するには、あまりにもハードルが高かったけれども・・・
肩抱く夜風の なぐさめは 忘れる努力の 邪魔になる
この表現に惹かれます
月日がたち、人生経験を積んでも、歌詞の意味を実感できない浅い自分がいます(ロクな経験を積んでいないので当然です)
「千家和也さんはすごいなぁ」ぐらいは、何となくわかるまでに少しだけ成長しました
アレンジはあくまでもシンプル
基本、ベースギターを中心とした構成です(けたたましいドラムなどは一切入りません)
オーボエかアルトサックスかよく分からないけれど、イントロ・間奏・エンディングと、綺麗に仕上がっています(元吹奏楽の娘にも聴いてみたが、? らしいです)(私はオーボエを推してみましたが)
終着駅 三部作
思い付きで、2曲上げてみました
『終着駅は始発駅』・北島三郎
・・・生きてるかぎり どこからだって 出直せる
終着駅は 始発駅
サブちゃんが、力強く励ましてくれます
”今日も一人、よく似た女性が過去から逃げて”きても、いつかは新未来の始発駅となってほしいものです
『愛の終着駅』・八代亜紀
ひとり「終着駅」まで行くと、男からの手紙がきます
あなたお願い 帰って来てよ 窓にわたしの まぼろしが
見えたら 辛さを 解ってほしい
昔から結構というか、相当好きな唄です(”文字の乱れは線路の軋(きし)みも”もめっちゃいい歌詞です)
終点を終着駅と命名した「あなた(映画関係者か?)はエライ!」というか、心から尊敬申し上げ、勝手に名付けた「三部作」コーナーを終了いたします
奥村チヨと浜圭介
失意の二人
奥村チヨ
昭和45年、『恋の奴隷』のヒットによる、こちらは”恋の3部作”の登場です
しかし、不本意なアイドルっぽい・お色気路線
「男に媚(こ)びるような歌は歌いたくない」
そう彼女の心は叫んでいたのかもしれません
そんな時に現れたのが「終着駅」
路線変更に不安がるスタッフたちに、引退覚悟でお願いします
「どうしても歌わせて」と
デビュー7年目にして、初めてわが思いを主張しました
”【スポニチ・芸能コラム】を参照 ”
浜圭介
15歳から歌手を目指し上京し、二十歳でデビューするもヒットしません
再デビュー後もパッとせず、作曲活動しながら、再々デビューしたものの・・・
そんな悶々(もんもん)とした生活を振り払うため、一路海外へ
そこで浮かんできたのが「終着駅」の、繊細かつ見事なあのメロディーです
ご本人も納得の作品でした
これが売れなければ、もう・・・
そう、奥村チヨさんと、立場も気持ちも同じなのです
二人の逆転人生
この曲には、「なにがなんでも」といった、二人の怨念(意地と情熱)が込められている気がしてなりません
結果として、大ヒットし、(まぁ当然でしょう)(この作品が売れなきゃ、日本人ではありません)
彼女は「シンデレラストーリー」の如く、彼は「アヒルが白鳥」となったように、自らの力で幸せを勝ち取りました
そんな二人は、
愛という名の あたたかい心の鍵(かぎ)
をこの歌で、しっかりと掴(つか)んだことでしょう。(いつまでもお幸せに)
P.S
「つめたかろう」「重たかろう」
この古い日本語の言い回しが好きです
今ではほとんど使われることはありません
「~かろう」=「~だろう」という意味です
「つめたから」(未然形)+「う」(推量の助動詞)=「つめたからう」→「つめたかろう」に(音変化)したらしいです
今でも、ギリ残っている言葉、「早かろう 悪かろう」(仕事が速いと、手落ちがあって出来上がりが悪くなりがちである) ”【goo国語辞典】より”
冷静に判断しても、ひいき目に見ても、このブログ
「遅かろう 悪かろう 読みにくかろう」であることは間違いないので、今日もまた反省しきりです。
了
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