演歌の王道です
昭和枯れすゝき 昭和49年(1974年)
作詞:山田孝雄 作曲:むつひろし 編曲:伊部晴美
あのころ世間はとても強かった
世間の風の 冷たさに こみあげる 涙
「世間様に顔向けができない」「世間体が悪い」などの言葉が
当たり前に飛び交っていた時代。
そんな昭和30~40年代はまだまだ貧富の差が激しく、子供自身も家庭の事情を斟酌(しんしゃく)していたように思います。
私自身の環境も、貧しさに負けたり世間に負けるほどの貧乏でもなかったが、そこそこ貧しく、それなりに状況をおもんぱかり、お菓子やちょっとしたオモチャもおねだりすることなどなかったのではないでしょうか。
こんな状況下、ライダースナックがカード欲しさに川へ捨てられた場面は、とてもつらく悲しい記憶として残り続けています。(ライダースナック投棄事件と呼ばれているらしい)
正直、川からそっと拾い上げ、ちょっぴり甘いあの『カルビーライダースナック』を味わいたい誘惑に…
そんな経験を経てこの「昭和枯れすゝき」がテレビから流れるにつれ、
田舎の少年の心には、ちょっぴりの共感とともにすぅ~と心に入り込んできたのです。
素敵なギターのイントロが哀しみを訴え、切々と歌うお二人の姿は涙なしには見られません。
なんといっても圧巻は、サビの部分の主・副旋律の見事な入れ替わりです。
この高度なハモリには心震わせられます。
幸せなんて 望まぬが 人並みでいたい
この辛さの中での謙虚さ
偉大なる昭和、尊敬すべき昭和、素晴らしき昭和の象徴的歌なのでした
可憐な女性 さくらさん
「山岡さくら」
この歌は特に女性パートが難しいようで、さくらさんの歌唱力あってのこと。
高音の伸びもさることながら、3番に入っての「なぜっ」の歌い方・言い方。
好きで好きでたまりません!
ひたむきさ・愛の深さがこの一言に込められているようで、この「なぜっ」に出会いたく、何度も何度も聴かせていただいています。
徳川一郎
マイクを少し外し気味に歌う姿は、昭和のいぶし銀そのものです
派手なパフォーマンスはありませんが、実直に仕事を仕上げます
※ 初代「さくらと一郎」オリジナル音源よりのコメントです。
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{蛇足}
その1 カルビーといえば「カール」(4兄弟姉妹)
時代は少しさかのぼり、わが隣町に凄いお菓子があるとのうわさが流れ始めたのが、
昭和47年頃。
チャリをこぐこと30分、そこには感動の出会いがありました。
よくぞこんな片田舎へ
言わずと知れた「カールうすあじ」姫である。この味この食感、未知の世界へ踏み込んだ瞬間です。
とにかくこの世にこんなおいしい食べ物があっていいのか!
ってぐらい強烈な印象を与えられました。
虫歯ともども長きにわたり、きれいなお付き合いをさせていただいております。
少し調べてみると、最初に発売されたのが「チーズとチキンスープ」そして「カレーがけ」そしていとしの「うすあじ」姫の流れらしい。
とにかくカルビー「カールうすあじ」はわが町に黒船のごとく突然現れ、われら子供たちは感激しそして平伏したのです。
お菓子メーカーの新製品発売の創成期とともに多感な少年期を過ごせたのは、
とても貴重であり、幸運なことだったと今更ながら感謝したします。
その2 禁断の強炭酸 「スプライト」
彼との出会いは、造成中の工事現場での片すみ。
みどりの350ml缶、まだ珍しかった自販機からゴットンと登場。
プルタブを放り捨て、ギンギンに冷えた中身を一気飲み。
悶絶(もんぜつ)するしかありません。 喉(のど)は焼けるは、涙は出るは・・・
忘れることのできない衝撃です。
「ファンタ」のライム風ぐらいに考えていた私が浅はかでした。
若さゆえの過ちか!(まぁ初期のファンタもけっこ炭酸きつかったが…)
大人社会の厳しさ、世間の風のつめたさを学校帰りにそっと教えていただいた次第です。
了
カーペンターズ イエスタディ・ワンス・モア 1973年(昭和48年)
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