作詞:なかにし礼 作曲・編曲:筒美京平
ユーチューブ動画を見させていただいています(5~60代の頃でしょうか)(黒いドレスが素敵です)
迫力の歌唱 朝丘雪路
ご本人歌唱映像を見るのは、ほぼ初めてだと思います
雨がやんだら お別れなのね 二人の思い出 水に流して
優しい笑顔で、語りかけるように入っていきます
「水に流してぇ~ぇ~~」で、軽くショックを受けました(そういう歌い方なのですね)
二度と開けない 南の窓に ブルーのカーテン 引きましょう
さらに、同じくしっとりと入ったのち、このところで一瞬息が止まりました
「引き~ましょうォゥ、ォゥ~ゥ~~」(驚きが隠せません)(ただものではないことを、確信しました)
茶化して大げさに書いていると思われるかもしれません
しかし、事実はまだまだ言い足りないのです
濡れたコートで 濡れた身体で
「濡れたコートでぇぃ~ィェィ」「濡れた身体でぇぃ~ィェィ」(鳥肌が立ってきました)
音の一つ一つも正確で、初めから安定しておられます
そして何より素敵なのが、この部分での微妙な声の裏返りです
分かっていただけたでしょうか、これまでの感動を!
骨抜きになるとはまさにこの事、完全に魅了されてしっまたのです
あなたはあなたは 誰に誰に 逢いに行くの かしら
「誰に誰に」と「か~しら」の歌い方は、ことのほか力強く声が響き、動きが大きくなります(この迫力は、和田アキ子さんにも少しも引けを取っていません)
最後の両手を高々と上げるお姿は、お見事としか言いようがないのです(嫌味が一切なく、品の良さしか残りません)
そして1番のラスト歌詞です
雨がやんだら 私はひとり ドアのもたれて 泪に むせぶ
「むっ す~せぇぶぅ~う~~~~~」(「せ」までのタメが、もうたまりません)(最後のビブラートで、当然完堕(お)ちです)
申し訳ありません
ここまで一切、「なかにし礼」さんの素晴らしい歌詞がぜんぜん入ってきません
素敵な笑顔に見とれ、声に魅了され、ビブラートに度肝を抜かれ、体全体で表現するパフォーマンスに、くぎ付けとなっていたのでした
そして、雨がやんだら・・・
雨がやんだら・・・
あなたのつくった インクのしみを 花瓶(かびん)をずらして 隠(かく)しましょう
部屋を出ていく「あなた」
雨に濡れた、「コート」をそして「あなたの身体」を一体どんな人が温めるのでしょうか?
そんなことを考えながら、彼女は「あなた」と作った思い出(インクのしみ)をそっと心に隠すのでした(「花瓶をずらして隠す」この表現が好きです)(そして、なんて素敵な旋律なのでしょう)
雨がやんだら 私はひとり あなたのガウンを まとってねむる
哀しい最後の場面ですが、「朝丘雪路」さんの振舞いと、「筒美京平」さんの作曲力で、すべてが救われるのです
このユーチューブ動画、最後に朝丘さんは一回転して、しなやかにお辞儀をします
これこそがお嬢様!「朝丘雪路」さんなのでしょう
けれんみなど一切なく、誰からも愛された「昭和の大スター」の姿がそこにありました(スタジオには、たくさんの歌手たちがいて、彼らの笑顔と、感服したまなざしが印象に残りました)
なお、「朝丘雪路」様におかれましては、数々の「お嬢様エピソード」がございます
興味のある方は、調べてみてください
きっと今以上に「雨がやんでもお別れ」したくなくなるでしょうから・・・
P.S.
”ウィキペディアからの参照になります”
宝塚音楽学校
創業者「小林一三」(こばやしいちぞう)は阪急電鉄・阪急百貨店・東宝グループの総帥でした
兵庫県宝塚市に校舎を置く 予科・本科合わせて2年制の宝塚歌劇団団員養成所
応募資格(満15歳~18歳)の第一に「容姿端麗」である(今の時代にサスガです)
【服装】・【予科生の心得】がこれまた素晴らしい
白の三つ折りソックスは当然(?)としても、腕時計は黒革ベルトのみ(素晴しすぎます)
登下校の際は、二列縦隊(最大6人)で行進しながら、道行く上級生一人一人に挨拶します
(縦隊とか行進などの言い回しが、笑わせに来ているとしか思えません)(ニレツジュウタイで変換しても「渋滞」「重体」が出てくるし…)
校内では、廊下の端を一列で歩くのは基本(?)でしょうが、「しゃべらない・笑わない・走らない」
阪急電車乗車の際は、最後尾の車両に乗り、着座も厳禁です(親と同伴でも許しません)
下車駅では、走り去る阪急電車を最敬礼で見送ることも、規則で決められているらしい (まさに、戦前、戦中の予科練の方たちも驚く内容です)(予科練=海軍飛行予科練習生)
そうですか、予科生の方々には、「頑張って下さい」と言うしかありません
「清く、正しく、美しく」
でも言葉をかえせば、今の時代にこのシステムがいまだ稼働している事に、尊さと一種の安心を感じずにはおれないのです
小林一三の教え「朗らかに、清く、正しく、美しく」
それは、「予科生」の象徴的な言葉であり、まさに「朝丘雪路」さんそのものだったのです
ここには偉大なる「昭和」が残っていたのでした。
了
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