桂銀淑(ケイ ウンスク)大阪暮色  アルバムが実家にあります すずめの涙ほども後悔はありません 

拝啓、桂銀淑さま

 

ロングドレスとどこか陰(かげ)ある瞳

 

かすれ気味の魅力的な声、ずば抜けた歌唱力、そして美貌

デビュー当時の映像を改めて拝見いたしましたが、もう完璧です

 

聖子ちゃんが、初めてショートカットで登場した全盛期の可愛さと比べても

微塵も負けていません(聖子ちゃんと見間違えるほどでした)

女性としての艶っぽさという点では、伝説の歌姫(聖子様)も一歩譲らざるを得ないかも

何故か、ドレス姿しか記憶にございません

 

そして、悲しい陰を感じるのは、かすれ声のせいばかりではない気が・・・(人はそんな雰囲気に惹かれていく時期があるものです、このころの私がちょうどそうだったのかもしれません

デビューされた当時の声が聴きたくて仕方ありませんでした(晩年の感傷というやつでしょうか)

 

女性の場合は特に顕著(けんちょ)なのか、年齢を重ねると声質が太くなり、ほんの少し残念に感じることがあります

 

でも、時を経た今の声も聴きたくて仕方ありません(ないものねだりなのでしょう)

きっとそれは「あの芸能人は今」みたいな企画(個人的にとても嫌いです)で見せられた時のショックとは次元が異なり、新たな声質の魅力を発見できるはず

 

そんな期待の方が数倍も上回るからに他なりません

 

大阪暮色  昭和60年(1985年)

 

作詞・作曲: 浜圭介、編曲: 高田弘

 

異国の方が歌う、古き日本の情緒

低くしっとりと彼女の世界が広がります

 

ハスキーボイス (husky voice)

 

語源は、トウモロコシの皮=husk  より

乾いた皮のシャカシャカしたこすれた音のイメージでしょうか

 

魅力的なこのような声の持ち主は、たくさんおられますもんたよしのり・内藤やす子・葛城ユキとたとえがかなり古い)が、私は迷うことなく「桂銀淑」一択です

《ちなみに『ダイシングオールナイト』『弟よ』『ボヘミアン』は好きな歌ベスト7~16ぐらいにに入っています》《たたえ方がちょっと微妙ですが、相当好きです》

 

ハスキー具合も一番深く、ほぼ聞き取れない歌詞もあり、そこが益々好きになり、ちょっとやばい表現になりますが、正直、中毒性が私の中に出てきているのかもしれません

 

この手の声(失礼な言い方ですが)が昔から好きで、あなたがデビューした時(私の耳がこの声と初めて触れたとき)は、珍しく衝動的にLPレコードを買ってしまいました(紫を基調とし表紙デザインは、イメージもピッタリでした)


当時は、年上の素敵なお姉さまという印象でしたが、一つ年下だったことをウキペディアで教わり、何故かいまさらながら愛(いと)おしく思えてなりません

 

また、いつかどこかでお逢いしたく、あの素晴らしいハスキーボイス(低く深みを増した)を聴ければと切望いたします

 

昭和の名曲 天童よしみ  珍島物語

 

作詞・作曲: 浜圭介 渾身の一撃

 

あなたのように、3拍子も4拍子もそろった方は、そうそうおられません

浜先生、よくぞ見つけて下さいました

育てる側としては、さぞかし力が入ったことでしょう

 

 

西陽(にしび)でやけた たたみの上

あの人がくれた花瓶

 

別離(わかれ)た日から花も飾らずに

淋しくおいてある

 

天才「浜圭介」さんの渾身の旋律と表現力を見せつけます

 

日本語もまだ不十分なあなたに「日に焼けたたたみ」を語らせる設定の凄さ

別離(わかれ)た日から花は飾っていません

あの人がくれた花瓶なら なおさら・・・

 

最初の4行で完全に引き込まれてしまいます

私には、かなりの一撃、ダウン寸前です

 

 

あのひとが すきやねん

くるうほど 誰よりも すきやねん

 

あほやねん あほやねん 騙された私が・・・・あほやねん

 

いえ、あなたを騙した男がどうしようもなくアホなのです

 

あえての関西弁なのでしょう

ご自分のことを「あほやねん」なんて言われると、強烈な一撃としてかなりずしんと響きます(当然ノックダウン)(20分は起き上がれません)

 

女心の機微(きび)や嘆きを演歌調でもって表現される、第一人者だと改めて確信する一曲です

 

演歌界のエースと4番

 

先生は、まさに渾身の一撃を放ち、あなたは思った通り見事に打ち返し、大勝利を収めたのではないでしょか

 

昭和60年、阪神は初の日本一へと輝きました(掛布・バース・岡田のバックスリーン3連発は

あまりにも有名)(巨人ファンのわたしはガックシでしたが)(直球勝負の槇原さん・あんたはエライ)

 

あなたも、ホームランを次々と放ち、誰もが認める不動の4番打者なられました

それゆえ、選ばれしスター選手(歌手)に、引退の文字はありません

 

どんな形でもいいので、もう一度プレーする姿を観てみたいです

そこは大きな甲子園球場ではなくいい、草野球のグランドでも、河原でも・・・

 

バットを再び持つ事

あなたの存在こそが、一番大切なことなのだから

 

P.S. 1985年 昭和60年

 

この年は、大きな飛行機事故や、大女優「夏目雅子」さんが27歳の若さでこの世をさるなど、とても悲しいニュースが多かったように思われます

 

よっしゃ、よっしゃと錦鯉にえさを与えていた「田中角栄」氏も脳梗塞を患(わずら)うこととなります

 

電電公社が「NTT」となり、日本専売公社が「JT」となりました

時代が大きくうねりながら変動していった頃でしょうか(私は相も変わらず、閉じこもっていましたが)

 

そんな中、流行したのが「禁煙パイポ」のCMです

一人、二人目と手にこのパイポを持ち「私はこれでタバコを止めました」と言い、3人目の方が小指を立て「私はこれで(小指を見て)会社を辞めました」というオチでした

今見ても秀逸な演出です

 

近況は存じませんが、歌うことだけは辞めないで欲しいと身勝手に思っています

 

来日することは、まだ厳しいかもしれませんが、貴方の声を待ち望んでいる人々は私を含め、きっとたくさんいるのですから・・・

 

 

増田けい子『すずめ』・村上幸子『酒場すずめ』・桂銀淑『すずめの涙』 それぞれに思いを寄せながら…

昭和の名曲 石狩挽歌(いしかりばんか) 北原ミレイ 

 

 

 

 

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