春の訪れが、日を追うごとに待ち遠しくなって来ました
『冬支度』?この時期に?
不思議に思った方は、以下の文をご参照頂ければ、幸いです
冬支度(ふゆじたく) 昭和59年(1984年)
作詞:水木かおる 作曲:遠藤実 編曲:池多孝春
ロングヒットした『みちづれ』と比べると、それほど有名ではありませんが、ギターの音色(編曲:池多孝春)と「題」のセンスに惹かれました
作詞:水木かおる
あゝ肩を抱く 腕のちからで 冷えていく 心がわかる
女性の鋭さ、観察力にはいつも感心させられます(たまたま妻と娘が特別鋭い女性だったのか、私が注意力のかけらもない、アホな男性なのか、真相はわかりませんが)
いずれにせよ、この男性、完全に気づかれています
あゝ悲しみに なれていくよに 捨てるなら 時間をかけて
女性のほうが、覚悟が出来ているのかもしれません
決して表立って引き止めたりはいたしません
でも、簡単に割り切れない想いは残ります
それなりの時間が欲しいのです
あゝ汽車の窓 よせた笑顔も 沈む陽に 半分かげる
これが最後の旅行です
思い出作りという名の儚(はかな)い旅で、気持ちを断ち切ります
精一杯の笑顔も、いつともなしに伏し目がちです(牧村さんの大きな瞳が、そして悲しげにうつむく様子が目に浮かびます)
逃げないわ 逃げないわ 陽(ひ)ざしは春でも これから私
季節はずれの こころは 冬支度
「冬支度」
それは、とても哀しい準備だったのです
季節は、やわらかい陽が差し込む春です(春なのに、お別れですか~・・・の「柏原芳恵」さんの世界です)
けれども彼女の心は、厳しい冬に向け、閉ざさるを得ない辛い支度をするのでした
牧村三枝子
テレビドラマ「大都会-闘いの日々-」にレギュラー出演し、劇中、店内で「赤提灯の女」を歌います(大都会シリーズ第一作・昭和51年)
この時知り合った運命の人?「渡哲也」さん、そして『みちづれ』です
(どうしても彼女は、この歌が歌いたくて「カバーシングル」として発売)(昭和53年)
この作品も同じく、作詞:水木かおる 作曲:遠藤実
このときから、隠れた名曲「冬支度」へとバトンが引き継がれていったのでした。
P.S.
「純真無垢」(じゅんしんむく)
純真演歌「遠藤実」
「遠藤実」先生の作品を聴く機会は、あまり多くはありません
派生演歌が増えていく中、これぞ純真演歌です(勝手に名付けました)
ずっとぶれることなく、演歌の王道を聞かせてくれます
純粋なる歌い手「牧村三枝子」
正直、他を圧するほどの歌唱力はありません(そこがまたいいんですが)
『みちづれ』の頃より、きれぎれの声、あの仕草に心惹かれ続けます
いまだ独身を貫いている彼女はインタビューで
「私が結婚したい男性は、『みちづれ』をくださった「渡哲也」さんか、亡くなられた「石原裕次郎」さんの二人だけ。私が21才の頃、そのお二人に出逢ってからは、他の男性に一切目がいかなくなった」とコメントしています ”ウィキペディア”
一途です
きめた きめた おまえとみちづれに ”『みちづれ』より”
(出会った時から、「きめた」みたいです)
あくまで人として、とても純粋な方なのです
『冬支度』の中の「純」と「粋」
「終わりかけた愛」を察した彼女は、現実から逃げる(1番)ことはせず、相手を追いかけ(2番)ることもしません
明日からのための「冬支度」です、そこに涙はありません
そこにあるのは「純」と「粋(いき)」
純粋で、矜持(きょうじ)ある生き様を見せてくれたのでした
ナイフのような四文字熟語
この歌を聞き、「牧村三枝子」さんを想うことにより、今では忘れかけていた「純真無垢」という言葉について、考えさせられました(無垢については、年齢的に厳しいかなとは思いますが…)
あなたは「純真無垢」・「純情可憐」(じゅんじょうかれん)・「天真爛漫」(てんしんらんまん) に生きていますか?
汚れきった私には、一つ一つの漢字が、心にグサグサと突き刺さってきました。
了
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