この曲がヒットしたのは1980年(昭和55年)でした
当然、歌詞も2番ぐらいまではなんとなく覚えています
しかし、ただそれだけ
思い入れもなければ、思い出もありません
全てにおいて無知だった私に、あの伝説(私が勝手にそう呼んでいる)のユーチューブ動画が突如として現れ、そして圧倒されたのでした
再生回数668万回オーバー
そこには、私の知らなかった「松村和子」さんが神のごとく降臨し、そのパフォーマンスは必ずや後世に残しておきたい、至高なもの
いや、至高よりもまだ高い位置、「至上」な芸術作品だと思います
『帰ってこいよ』 子を想う親の思い?
作詞:平山忠夫 作曲:一代のぼる 編曲:斉藤恒夫
「北の漁場」(北島三郎)・「みちのくひとり旅」(山本譲二)などの編曲を手掛けた「斉藤恒夫」さんの素晴らしいイントロで会場は手拍子を引き連れて盛り上がります
きっと帰って くるんだと
お岩木山で 手を振れば
なんとなく、遠く離れていった娘への父の寂しさを歌っている?ぐらいにしか思っていませんでした
そもそも何も見えていませんでした
気立てのやさしい 娘だったよ おまえの嫁に 欲しかったねと
おふくろ今夜も ひとりごと
2番のこの歌詞が訪れても、馬鹿な私は「あれれ?」と違和感を感じつつ、歌詞の意味も深く考えずスルーしていたのです
まさか『木綿のハンカチーフ』の逆バージョン?
青森の田舎に残った幼馴染(おさななじみ)の男の子が、都会へ行った彼女を・・・
歌詞の意味を今更ながらやっと…
そんな世界を歌っていたとはつゆ知らず、当時の私は『青い珊瑚礁』を歌う聖子ちゃんカットしか目に入っていませんでした(「なぜ、最優秀新人賞が「田原俊彦」(さん)なんだ!」などとたわいもなく…)
この年、「松村和子」さんも新人賞を受賞されています
民族衣装っぽい変わった服装で三味線を弾いていた人ぐらいにしか…
当時からの突出していた歌唱力に気づきもせずに…
松村和子 尊敬すべき本物の歌手
改めて動画に目を映せば、相変わらずの衣装も素晴らしく結構ぶっ飛んでいます
何度聞いても、この高音の伸びは鳥肌物です
変わらぬキーで、苦しいはずの高音も裏声に頼ることなく昔のまま
いや、それ以上の声量で圧倒されます
三味線がギターに、尺八がベースに変わった如くロックテイストにも感じられ、演歌の域を完全に超えています
帰ってこいよ 帰ってこいよ 帰ってこいよ
人はどうしてこんなにも鮮やかに声が出せるのでしょうか
実力派の歌手たちが、ブランク後に再登場し歌を披露したとき、私は少し悲しくなります(全盛期において、うまければうまいほど)
しかし彼女は違いました
異次元の伸びしろを携えて、帰ってきてくれました
・・・いや、
彼女は最初からどこにも行ってはいません
デビューから40年間ずっと地道に努力し精進しながら、ひたすら歌の道を真っすぐに歩み続けていたに違いありません
可愛いあの娘(こ)の 帰る日を
お岩木山で 今日もまた
当初は意味を勘違いしていたこの歌が、この歌詞が今も私に元気をくれています
この春進学し、初めての巣立ちした末娘を持つ我が身ゆえに…なおさら・・・
P.S
観察力
岩木山・リンゴの花・津軽の風
『帰ってこいよ』の歌詞を拾ってみました
どこからどう見ても青森県です
松村和子さんと同じ、当時18歳の私は何故か沖縄県出身の歌手なんだろうと勝手に想像していました(なんと北海道出身でした)
この動画を見返す前は、三味線を三線(さんしん)と思い込んでおり、自分のアホさ加減にあきれます
昔から観察力になさでは定評のあった私です
観察力とよく似た言葉に、「洞察力」があります。
洞察力とは、「物事の本質を見抜く力」のことです。
観察はあくまで「表面的な部分を注意深く見る」という行為ですが、洞察は「物事の見えていない部分まで見抜く」という行為を指します。【村尾 佳子(グロービス経営大学院 経営研究科 副研究科長)】
観察力のなさについて、家族からも安定した評価をいただいています
下着の収納場所を、当時3歳に満たない娘のほうがよく覚えていたという、くだりは我が家の伝説と化しています
観察力については諦めています
しかし、「物事の本質を見抜く力」
昭和の名曲についての洞察力を、少しでもたくさん身につけられるよう精進していきたいと思います
帰ってこいよ「昭和の名曲」、帰ってこいよ「洞察力」、そして帰ってこいよ「愛しき娘」
(ただし洞察力については、かけらも備えていないので、帰りようがありませんけれど・・・)
了
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